その作品や作り手に罪もなければ、それらに対する恨みもないのに、こちら側の個人的体験のせいで嫌いになってしまうものがある。音楽に限って、いくつか書いてみよう。
たとえば、私は、レッド・ツェッぺリンのファンだが、名曲「コミュニケーション・ブレイクダウン」を聴けない身体になってしまっている。
理由は、映画学校時代、別のゼミのある発表の際に、BGMとして使われていたのだが、その発表内容があまりに酷く腹立たしく、結果として「コミュニケーション・ブレイクダウン」を聴くと、その時の内容がフラッシュバックしてしまうようになったのだ。
また、同じく映画学校時代の体験に関わるものだが、ハナレグミの「家族の風景」も聴けない。
これは、私自身が所属していた班の研究中に、諸事情で何度も聴かされた曲で、その研究がまたトラウマになるくらい酷い状態だったもので、「家族の風景」が流れてくると、吐き気を催してしまうのだ。
嫌いな人の名前のように空耳してしまうバッファロー・ドーターの「Big Wednesday」。酔っ払いのおっさんのキモいカラオケでの歌唱がトラウマ化したザ・カーナビーツ版の「好きさ好きさ好きさ」。他にも、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」、いきものがかりの「ありがとう」などなど。
私や、これらの曲の権利者は、聴けなくなった理由を作った相手に損害賠償とか請求できないのかしら、と考えたりもする。
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最近は、実家暮らしになったこともあり、チャンネル権の問題もあって、なかなか観ることができずにいるが、フジテレビの『奇跡体験!アンビリバボー』は、昔、結構観ていた。コーラル・キャッスル(珊瑚の城)の話が特に印象深い。あと、景品の「アンビリバ棒」。
現在は、司会がバナナマンになったようだが、元々この番組は、色々とスタイルの変遷が激しかったように思う。
幸い、バナナマンは好きな芸人なので、全く抵抗はないのだが、好きだったものが、別のなにかに取り込まれたり、実権を奪われたりして、すっかり楽しくなくなってしまうということはよくある。
東京グランギニョルによる原作舞台は未見であるが、古屋兎丸の漫画版を読む限り『ライチ光クラブ』も、そんな悲しさが背景にあるような気がする(元々、あのクラブは、ゼラではなくタミヤたちのものだった)。
幼稚園からの同級生であるS君は、小学一年の頃、大切に飼っていた金魚の水槽に、兄が別の魚を入れたところ、その魚が金魚を殺してしまったことを今でも恨んでいる。
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