『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(55)

 ニエの家の三男が、道の駅に設けられた小さな滑り台で延々と遊び続け、叔父らしき男性に「置いて行くぞ」と言われているのを見かけたこともあるが、なぜか私は自分の記憶のように思えてしまい、過去に戻れない恐怖に耐えられず、脳が傷つくのも恐れずに頭を強く振ったものの、治まることはなかった。30メートル近い巨大なゲジのような怪物が市役所を覆うように張り付いているのを誰も気にしていないことからもわかるように、私が悩まされているような症状は、結局のところ、なるべく人目につかずに丘の上の病院の処方薬で軽減するほかないようで、実際怪物は今のところ誰も襲っていないのである。

 キネマユリイカ駅の地下で、横暴な先人たちからの仕打ちによって将来を奪われた若者の乾かした手首を栄養源に成長を続けるやつらの神様についても、気づいていたのは山上たちくらいのもので、役に立てなかった私は真夜中の駅で腐臭を消すための石灰をこっそりと穴に注ぎ込むことしかできなかった。決して治安が良いとは言えない地域だが、深夜のキネマユリイカ駅には、騒ぎが起こせるほどの人間がそもそも集まらず、どちらかといえば霊感のない自分でさえ、人ではない何かの気配を感じてしまうような空気があった。実際、石灰はやつらの神様に用いているのだから、その予感も間違いではない。腐臭を消し去るためには、卒業後3年半ほど石灰を注ぎ続けなければならず、その間に台所の壁には小さな穴が開き、備え付けのエアコンも壊れ、酷暑の日には保冷剤を身体のあちこちに押し付けてやり過ごすしかなくなっていた。ナイトウセイイチ氏のアパート前ではヒアリがゴキブリの死骸に群がっていた。