君の心配なんかもうしない

 地域の人間の繋がりが割と強めな田舎に住んでいると、たとえば、誰かが失踪した時、その地域の人間が集って捜索が行われたりするのだが(実際、何度かそういうことがあり、私自身も捜索に参加した)、捜索に駆り出された身内が事故などに遭った場合、私は失踪者や失踪者の身内を怨まずにいる自信がない。

 北海道の田舎である。山中の捜索ともなれば、羆の恐怖だってある。羆どころか、鹿だって襲われたら無事では済まない。

 認知症の男性が線路に入り死亡し、電車が遅れて遺族に損賠命令があったというニュースを読んで、保護責任の重みが身内に圧し掛かりすぎるような世間の不寛容さみたいなものを憂いはしたが、自分や自分の身内がそういった出来事に巻き込まれる形で大きな被害を受けた場合、冷静でいられはしないのだ。


 逆に、黙ってどこかに出かけたり、相手を待たせているのに何の連絡もせず平気でいられるような人間は、それによって相手や身内に大きな損失が生じる可能性など、ほとんど考えていないのだろう。

 携帯電話やスマホを持っていない人間の方が珍しくなった現在、いるはずの人や来るはずの人が、何の連絡もなく「いない」状態が許されるのは、1時間未満じゃないかと思う。

 軽くメールで「遅れます」と連絡すれば良いだけのこと。連絡できない状態でもないのに、1時間以上待たせる人間と付き合い続けるのは、こちらの損失が大きすぎる。自分の中でその人間が「死んでもかまわない」という意味での「心配する必要のない人間」でないと無理であるし、そんな人間とは、どうしようもない場合を除いて付き合いたくなんかない。

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呟き散らかしたこと


 「おめえさんのご自慢の愛車なんざ、ロジャー・コーマンの映画で派手に爆発させてやらあ」

 
 小島麻由美の「dibbi dubbi daa」の女性が、彼氏のぼろバイクへの憎しみが溜まりすぎて、小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」を歌いながら彼氏をバイクもろとも爆殺するという妄想。
 若松孝二の『天使の恍惚』は、当初『天使の爆殺』というタイトルだったらしいが、この妄想には『天使の爆殺』こそふさわしい。

Me And My Monkey On the Moon

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