「野球解説者のほとんどは、元野球選手であるのに、映画評論家のほとんどは元映画作家ではないのはどういうことか!」というような話に賛同していた映画作家が、こと科学の話になると、ちゃんとした科学者よりも、ジャーナリストや芸術家、それどころかネット上のただの呟き屋のような人間の言うことを真に受けるのは、それこそどういうことなのだろう。明確な正解のない芸術分野こそ、専門外の意見も重要になってくる気がするのだが。
ところで、井戸川元町長は、「ここ2年ほど、朝起きると鼻血と鼻水が出て、1時間ほど収まらない。これが被ばくの影響なのか、ストレスのせいなのかは分からない。確かなことは、自分が相当被ばくしていることだ」とインタビューで語っているのだが、これはそもそも論理としておかしい。鼻血と鼻水が被ばくの影響なのかストレスのせいなのか分からないと言っているのに、なぜ自分が相当被ばくしていることが確かだと言えるのか。いや、相当被ばくしているのが、仮に本当に確かなのだとしても、鼻血と鼻水が被ばくの影響なのかどうかはわからないと自分で言っているのだから、この言葉の流れはおかしいだろう。
『美味しんぼ』の騒動に関して、菊池誠さんが「いまの「美味しんぼ」はマンガであることを最低の形で利用していると思う。最後は「あれはマンガですから」という逃げ道を用意しているのではないかなあ」と呟いていたが、私は以前から、芸術家がときおり口にする「矛盾を気にしない」といった類の言葉も、こういった問題では、かなり悪質な言い訳として使われる危険性があると思っている。
宮沢正一も「矛盾を気にして、ロックなんかやってられるか」と語ったことがあるようだが、たしかにロックが表現しようとするものの多くは、矛盾を気にしていたらやっていられないものであるし、「感情」や「内面」なんてまさにそうだろう。しかし、化学的事実なんてものは、感情や内面ではどうにもならないし、矛盾があればどんどん正されていく。
ひょっとして怖いのだろうか。科学が芸術を消し去る敵だとでも思っているのだろうか。だとしたら、芸術を軽視しているのは、そんなことに怯えている側の人間じゃないのか。間違った知識であっても、反体制的でなければならないなどと思っているのなら、それにすがることでしか芸術活動をできないということでもあり、だとしたらそれまでのことである。
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ゴダールの新作3D映画『Adieu au langage』。
ところどころ、デレク・ジャーマンが憑依しているかのような……しかし、やはりゴダールだ。
ツイッターで「画家のエドガー・ドガが、晩年に視力の衰えからものすごい色で絵を描いてたんだけど、そういう感覚に近い気がする」と呟いている人がいたが、そういえばデレク・ジャーマンもエイズによって視力を失っていった映画作家だが、彼の場合は、最終的に青一色の映画に辿りついた。
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