転がる石は苔をつけない

 プロフィールに「いたって普通の人間です」とか「どこにでも転がっているおっさんです」とか書いてある人に限って、こちらからすると「お前みたいな奴が普通でどこにでも転がっているから、世の中生き辛いんじゃねえか馬鹿野郎」と思ってしまったりするので、今後、私は「自分は珍しい存在である」ということを積極的にアピールして、私のことを嫌いな人が世界に悲観したりしないよう配慮しようかなとも思うのだが、私は私のことを嫌いな人に対して、そんな配慮をするような善良さは持ち合わせてはおらず、私という存在が珍しかろうがどこにでも転がっているようなものであろうが、「世界には、私みたいな人間がうじゃうじゃいるぞ」と、私のことを嫌いな人たちに思わせておいたほうが、ひょっとしたら私にとって生き易い世の中になるかもしれない。それでは、今日から積極的に「自分は普通だ」というアピールをしていこう、と思ったのだが、「積極的」なんて要素も、自分はバクテリア程のものしか持ち合わせていないということに気づいて、では自分が持っているものは何かと考えてみたら、積極的であるがゆえに自分は普通でどこにでも転がっているというアピールをしまくって、自分のことを嫌いな人間たちに世界を悲観させようとする方々に対する恨みだけはたっぷり心に溜まっていて、結局生きにくくなるのは私ばかりじゃないか、まったくあいつらのせいで畜生……と、よりその恨みを増大させている。というのが、2016年3月16日現在の私という人間なのだが、はたしてそんな人間は珍しいのか、はたまたどこにでも転がっているのか。