エイモス一族のオルニチン豊富なシジミの大地

 小学3年生の時、風邪で学校を休んだクラスメイト(仮名を「エイモス君」とする)の家にプリントを届けに行ったことがある。そのエイモス君の家から一番近いところに住んでいたのが私だったからなのだが(それでも1キロくらいの距離はある)、エイモス君とは特に親しくもなければ極端に不仲というわけでもない程度の関係だったので、実際にエイモス君の家へ行くのはそれが初めてだった。

 周囲を広い畑に囲まれた庭付き二階建ての一軒家という、この一帯の農家としてはごくごく平均的な家であったが、庭の隅に大量の貝殻が捨ててあるのが気になった。数日後に風邪を治して登校してきたエイモス君に話を伺ってみると、どうも彼の家ではシジミの味噌汁が定番の朝食らしく、それに伴って毎日のように産出される貝殻の処理が面倒になり、いつしか庭に捨てはじめ、ある程度溜まると土をかけて埋めてしまうようになったのだという。シジミ以外の貝が食卓に並ぶことはほとんどないらしく、エイモス君の家の貝塚シジミ純度ほぼ100%の貝塚なのだろう。

 シジミといえば二日酔いの友、豊富に含まれたオルニチンが二日酔いの辛さに効果抜群などとよく聞くが、エイモス君の両親が呑兵衛だったのかどうかは知らない。だが、シジミの貝殻ばかりで生成された彼の家の貝塚は、オルニチンを大量に含んだ二日酔いに効果抜群な土地になっているのかもしれない。『やし酒飲み』の主人公のような人間が住むにはうってつけの土地で、もしも科学的に効果が証明されたのなら、世界中の呑兵衛たちが土地の所有権をめぐって争いはじめるかもしれない。

 エイモス君は現在、両親の跡を継いで農業を営んでいるが、ひょっとすれば呑兵衛たちの血で血を洗う大戦争を引き起こしかねないオルニチン貝塚の秘密を守る役目も担っている可能性がある。だとすれば、エイモス君の一族はこの土地に根を張り、たとえなんらかの災害で畑が使えなくなったり、それどころか住むこと自体が困難になったとしても、頑なに移住を拒むことだろう。引き継いでしまった使命の重圧に耐えられず、エイモス君自身が酒に逃避することもあるかもしれない。しかし、オルニチン豊富な彼の家の土地は、決してエイモス君を現実から逃避させることもないだろう。呑兵衛たちの争いを防ぐと共に、エイモス君は酒への逃避の愚かさをも身をもって示し続けるのだ。

 図らずもエイモス家の秘密を知ってしまった私は、いまだ特に親しいわけではないが極端に不仲というわけでもないので、陰ながらエイモス君を応援するとともに、エイモス家の住所が世に知られてしまうことのないよう最善を尽くすつもりである。

 

やし酒飲み (岩波文庫)

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