『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(32)

 小学生の頃の従兄弟は、将来の夢に「情報屋」と書いて提出し、職員室に呼び出されるような子供だったが、ベースギターを覚えてからは不思議と学校の成績も伸びていった。再び窓の外に目を移すと、アスファルトに点々と人骨らしき白い欠片が張り付いていたが、産地があれでは拾い集める必要もなかった。知人のうちで骨片をお守りとして持ち歩くのは、恥じらいの四戦士の一人であるタソガレさんだけだったが、風習自体は幼い頃から知っていた。ケータローステップの新曲はスパイダースの「バン・バン・バン」そっくりだったが、女性教師産の骨片を贈ったところで彼らの作曲能力が改善するはずはない。

 タソガレさんの骨片は小学校の同級生産で、7歳のタソガレさんが下校の道順を間違えた時、「ほら、また違う方向に行く。あいつはいつもそうだ。方向音痴すぎるだろ。それで良いお兄ちゃんのつもりでいるんだ」と馬鹿にしてきた酪農家の息子のハダタノ・マキヒロという名前の少年だった。無論、7歳児の骨だ。杵真丘をロケハン中に駅の動く歩道を歩き過ごし、仕方なく古いパチンコ屋を改装した民宿に泊まったのも、タソガレさんのお守りがあったからで、骨片もなく見知らぬ民宿で夜を明かせるほど私もタソガレさんも世界が平穏だとは思っていない。そんな我々にはロケハンも撮影交渉も向いていなかった。