『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(50)

 「枝が台無しじゃん!」と新聞局の女子生徒が半泣きで教頭の身体から記念樹の枝を引き抜こうとするも、無理に抜けば教頭の肉や骨に邪魔されて折れてしまうであろうと周りも理解していた。冷静さを失った女子生徒を数名がなだめつつ、バスケ部の当時の主将が尖った石で教頭の肉を慎重に削り始めた。しばらくすると、事務のサキモリさんが家庭科室から果物ナイフなどの役立ちそうな調理器具を持ってきたので、多少の責任も感じていたらしいキックの弟が率先して教頭の解体に着手した。教頭の身体を残す必要はなかったので、枝から離れた部分から削ぎ落としてゆくだけの簡単な解体なのが幸いした。キックの弟が削り取った教頭の身体は、保健委員のマリンさんが半透明のごみ袋に詰め込んでいて、傍で誰かが「『生きてこそ』で見たことある」と言った。わざわざ図書室から『アンデスの聖餐』のタイトルで映画化された作品が紹介されている本を持ってきたヤスヒロは小学3年生のように嬉しそうだった。 

 教頭の身体を詰め込んだごみ袋とは、私が神奈川で独り暮らしをしている頃、アパート前のごみ置き場で再会した。マリンさんが吸水性の高いタオルや保冷剤を一緒に詰めていたおかげで新鮮なままだったが、すぐ横に捨てられていた卓上サイズのオートバイのインテリアは、さすがに拾う気になれなかった。このごみ置き場には、よく役者や演劇関係の書籍も捨てられていて、どうやらその道を目指している住人がいるようだった。その見知らぬ役者志望者宛てと思われる郵便物が何度か私の部屋に誤配され、しかも私が長期不在時に限って誤配されるため、気付いた時には手渡すのを躊躇するほど日が経っていた。役者志望者に渡しそびれた郵便物には、やけに社会風刺コント集団ザ・ニュースペーパーの公演案内が含まれていて、何かしら関わりがあったのだろうと推察できたが、だからといってどうする気にもならなかった。小鬼たちの遊び声が響く場所で妙な揉め事の種を撒きたくないと考えるのは自然だろう。実際、駐車されていた赤い乗用車の上を小鬼がふざけて歩いてみせた時には、近くで恋人と喧嘩中だった男が空気に耐えきれず叱りつけてしまい、家屋や電柱の陰から仲間の小鬼たちが一斉に集まってきて、恋人もろとも男の身体を雑に食したトウモロコシのように食い荒らしてしまうのを目にしていた。私はせめてもの対策に、小鬼が苦手としていそうな香草をアパートの敷地にこっそり植えていたが、どこからか紛れこんで育ちはじめた南瓜の勢いに押され気味で、どうにも心許なかった。ゆえに、懐いてくれたカナヘビやハエトリグモと共に、なるべく小鬼たちとは鉢合わせないように生活していたのだ。