雪面の滞り魚

 一面の銀世界というと、とても美しいイメージが浮かびそうであるが、ある程度の期間、美しいままでいられるような銀世界は、ほとんど人の手が加わっていないような秘境に近い場所がほとんどである。どうしても人の営みの影響を受ける場所では、すぐに自動車の排ガスや泥はね、夏場よりも目立ってしまうゴミの姿などによって、およそ「美しい」とは縁遠い景観になってしまう。なにより、観光ではなく、日々の生活を送る者にとっては、積雪によって生じる諸々の面倒事が頭をよぎり、よほど無垢な子供でもない限り、雪の訪れには微塵も心が弾まない。積雪の面倒事の処理に運良く立ち向かわずに済む立場であっても、節々の薄汚れた白い景観が厚くなったり薄くなったりという程度の日々だと、窓の外を眺める楽しみもあまり得られないだろう。

 あえて冷たく表現するならば、どこへ行っても大して変わり映えのない景色となってしまう冬の北海道であるが、市町村の境界だけは、積雪後の方が明確になったりする。それは、除雪の進み具合の差によって生じる。

 個人の敷地内は各々が汗をつららに変えつつ対応する他ないが、公道の除雪は基本的に各市町村およびその委託業者が行う。そうなると、土地状況や役所の運営状況によって差が出るのは当然で、雪対策に力を入れている町もあれば、あまりに雑な場所もあったりする。人員不足か能力不足か、それとも土地自体の問題か、明確な理由は分からないが、私の在住地とその隣町は特に明確な差が出るようで、たとえカントリーサインが雪に埋まっていたとしても、除雪の進行具合ではっきりと境界線が示される状況が続いている。いつか、人の心まで除雪にとって分断されるのではないかとさえ考えることもある。

 それにしても、定規で測ったように境界を越さない仕事ぶりは、いわゆるお役所仕事と揶揄すべきものなのか、意地でもこんな苦しい作業をヨソの土地までやってやるものかという担当者の気持ちの表れなのか、いずれにせよ、雪国に暮らす者たちの心情の一片が垣間見える情景だとは言えるかもしれない。