逃げきれそうにない現実

 小学生時代に別の学年の担任をしていた、やたら威勢の良い教師の近影を最近になって隣町の広報で目にした。特に親しみを感じていたわけでもないのだが、その姿は心配してしまうほどに老け込んでいた。忙しなく生き過ぎたのか、はたまた威勢の良さが悪い方向に発揮され、何らかのトラブルを抱えて知らぬ間に一気に衰弱していったのか。

 不謹慎ではあるが、もっと不幸になってほしい教師は他にいるのだから、昔と変わらぬ姿で写っていてくれて一向に構わなかったというのに、望み通りにはいかないものである。もっとも、教師という職業柄、たまたま私には特段怨まれなかっただけで、大勢の教え子たちから憎しみをぶつけられていたのかもしれず、だとすれば「特に親しみを感じない」程度の関係性で済んで幸運だったといえるだろう。

 町の広報に限らず、教師というのは顔も名前も比較的公共の場に晒され易い。教え子たちからすれば、ある程度の履歴も含めたプロフィールを把握できているため、どこへ転属しようとも、その行方を探し出すことは、疎遠になった同級生よりは容易であろう。何度か記していることだが、なぜもっと復讐に怯える教員が存在しないのかと思う。仮に何の怨みも買わず、本人としても思い当たる節がないのだとしても、何らかの思い違いや濡れ衣で怨みを買ってしまっている可能性すら少しも考えないのだとすれば、もうその時点で「あんた、きっとどこかで無神経な言動で教え子を傷つけてるよ」と言ってやりたくなる。

 もっとも、逆恨みであれ自業自得であれ「復讐され易い」ことを自覚せざるを得ないがゆえに逃避的無神経状態になっているのだとすれば、教育現場をめぐる暗澹たる状況にも合点がいくのではあるが。