「みんなみんな生きているんだ友達なんだ」

 動物が死ぬと虫が湧く。もちろん、人間も例外ではなく、蝿(および蛆)、ゴキブリ、シデムシといった、特殊清掃に携わる方の話を伺うまでもなく嫌でも想像できてしまう類の虫たちが大量に湧く。腐敗臭と並んで、孤独死が発覚する主なきっかけでもある。

 前回の記事にも記した通り、年齢ゆえか健康状態ゆえか日陰の人生ゆえか、スピリチュアル的なものとは別の意味での「死後の苦労」に関して考えることが増えてしまっているのだが、上記したような遺体に湧くような虫以外にも、各々の居住地に普段から姿を見せがちな虫たちも、おそらく多く発生するのだろうと思う。住人が元気に生活している間ならば、追い出されたり殺虫剤をかけられたり、それ以前に侵入や発生の防止措置がとられていた虫たちが、遺体に引き寄せられるわけでもなく、単に出入りし易くなったという理由で蠢きまわるわけだ。

 つまり、蟻の姿を頻繁に目にするような家であれば、住人の死後には大量の蟻が侵入し定住する。その他、動物の死体に特別多く寄ってくるわけでもない虫たちが、たまたまその家に姿を見せやすい状態にあるだけで、住人の死後、新たな住人として大量に現れることが予想されるのだ。蚊、蜘蛛、カマドウマ、虻、蜂、百足……殺虫・防虫用品売り場でイラスト化されている虫たちがここぞとばかりに集まってくるかもしれない。もちろん、普段から蝿やゴキブリに悩まされているような家であれば、より多くの数が発生するのだろう。

 普段から目にすることの多い虫であれば、たとえ目にしたことのない状況に置かれた場合の姿も想像し易い。当然、私も想像してしまうのである。自分の死体に群がる、あの虫やこの虫を。テントウムシのような、普段ならさほど恐れる必要のない虫でさえ、死後の自分の身体を這い回る様子はおぞましい。しかし、今の私に出来ることといえば、なるべく生活環境を清潔に保ち、少しでも虫たちが発生しにくい状態にしておくことくらいなのである。