鈍感なのか馬鹿者なのか無神経か前向きなのか

 明るく前向きな人間は、案外他人を苦しめている。

 その仕組みの一つの要因として、明るく前向きな人間は、明るく前向きであるがゆえに、失敗や過ちを犯しても、基本的にはそれを自分の中で「良い経験」として先に進もうとすることが挙げられる。

 もちろん、それ自体は大切なことでもあるし必要なことだとも言える。そして、反省の上で成り立っているとも思うのだが、問題は本人ではなく、明るく前向きな人間の失敗や過ちによって実害を被った他者のほうである。失敗や過ちを犯した本人が立ち直っても、巻き込まれた側は立ち直るどころか、元凶だけが明るく前向きに生きる姿を見せつけられるだけで、それでは憎しみなどの負の感情が増大するばかりである。酷い場合には、元凶である明るく前向きな人間が被害者に対して「過去にとらわれていては駄目だ」などと、悪気なく叱咤激励という名の無神経な加害言動を起こしたりもする。そして、最悪の場合、被害者は殺人という罪の加害者になってしまう。

 「明るく前向き」は、どちらかと言えば確かに良いことなのだとは思う。だが、結局は時と場合によるし、自分だけが勝手に何事にも明るく前向きに生きているだけなのは、むしろ害悪なのではないかと思う。少なくとも私には、そう感じさせられて殺意さえ芽生えた人物が何人も存在している。奴らのせいで自分が殺人犯になるような、さらなる不幸を引き寄せるのは癪どころでないので、どうにかその衝動を抑え込んでいるに過ぎない。幸か不幸か、簡単に危害を加えられるような相手は少ないという点も助かっている。奴らは往々にして、陽向の大舞台に立っているものなのだ。