バリー・サドラー軍曹は平成の日本を見たか?

 

 それは日本何度目かの改元だった でも元号なんて知らなかったから

 日本何度目かの改元であっても 軍曹はそれに気づかなかった

 

 ベトナム戦争に対する反戦運動サイケデリックムーヴメントが盛んになっていた1966年、グリーンベレーの戦闘衛生兵としてベトナムに従軍した後、傷痍軍人として帰国したバリー・サドラー軍曹による「悲しき戦場(グリーン・ベレーのバラード)」(原題:The Ballad Of The Green Berets)が発表された。ビルボード5週連続第1位の大ヒット曲である。

 傷痍軍人による楽曲とはいえ、後にジョン・ウェインの監督・主演作『グリーン・ベレー』のメインテーマ曲に用いられたことからも分かる通り、軍に肯定的な内容で、邦題の「悲しき」も戦争の悲しみといったことではなく、単に当時はやたらと「悲しき○○」という邦題が流行っていたからに過ぎない(例:デル・シャノン「悲しき街角」、メリー・ホプキン「悲しき天使」など。他に「恋の○○」なんてタイトルも多数存在)。「悲しき戦場」の次に緩衝剤のようにライチャス・ブラザーズの「ソウル・アンド・インスピレーション」がビルボード№1ヒットになった後、№1ヒットの座はヤング・ラスカルズの「グッド・ラヴィン」、ママス&パパスの「マンデイ・マンデイ」と続く。ローリング・ストーンズの「黒くぬれ」やラヴィン・スプーンフルの「サマー・イン・ザ・シティ」もこの年のビルボード№1ヒットで、やはりどちらかといえば反戦の色が濃いが、反戦感情と保守的感情のせめぎ合いのような雰囲気がヒットチャートからも窺える気がする。

 さて、サドラー軍曹のその後だが、これがあまり明るい話にはならない。1978年にガールフレンドをめぐるいざこざの果てにカントリーソングライターのリー・エマソン・ベラミーを射殺し、当時のベラミーがひどい麻薬中毒患者でサドラーだけでなく周囲の多くの人間がたいへんな迷惑を被っていたことなどもあり、最終的にテネシー収容作業施設での軽作業21日に減刑されたものの有罪判決を受ける。そして、1988年にタクシー内で銃撃を受け頭部を負傷、数か月の昏睡状態に陥り、意識回復後も寝たきり状態となり、1989年11月5日に死去した。銃撃事件については謎が多く、当時から憶測や噂が飛び交ったようで、そのなかには不名誉な話も多い。

 サドラー軍曹が銃撃されてから亡くなるまでの1年ほどの間、彼の愛した祖国アメリカでは、ちょうど大統領がレーガンからブッシュへと替わった頃だった。どちらも共和党なので、おそらくサドラー軍曹にとって悪いニュースだったわけではないと思う(ただし、パパブッシュは1992年の大統領選挙で再選を果たせず、第42代大統領には民主党ビル・クリントンが就任した。もっとも、クリントンとパパブッシュのその後の関係は良好のようだが)。この時代というのは、日本でも昭和が終わって平成が始まった時期なのだが、空軍時代にレーダー技師として日本に勤務していた経験を持つサドラー軍曹がこの報せを知ることができたかは怪しい。たぶん、それどころではなかっただろう。いや、パパブッシュの大統領就任さえ、どれだけ気を払えたのだろう。どうやら、「悲しき」という言葉がふさわしかったのは戦場でもグリーンベレーでもなく、サドラー軍曹の人生の方だったようだ。

バラッズ・オブ・ザ・グリーン・ベレー:悲しき戦場

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Mess / Age

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毒蛇の出る地域は保健室に血清とかあるんですかね

 中学3年の秋、ちょうど文化祭の準備期間中で、どちらかといえば体育祭や球技大会で鬱陶しいくらいに活躍する連中のほうが多かったせいか、放課後に新聞部でもないのに壁新聞コンクール用の記事を書かされたり、放送部でもないのに当日の案内アナウンスの原稿を書かされたり、果ては演劇部でもないのに台本の手直し(既成作品を演じるだけなのだが、児童数の少ない田舎中学なので出演者もスタッフの数も足りず、色々と手を加えなければならない)から演出助手まで任されるという不毛な活躍を余儀なくされていた貧弱文化少年の私は、突如右肩に経験したことのない痛みというか凝りというか、身体が鉛で構成されているクローネンバーグな寄生虫が肩に潜りこんでジュクジュクと錆だらけの体液を分泌しているような感覚が生じはじめ、腕を動かすこともできなくなり、吐き気も襲ってきて、どうしようもなくなって最も頼りになる宮本浩次ミック・ジャガーを足しっぱなしにしたような顔の友人の健康的な肩を借りて保健室へ向かったのだが、田舎中学の保健室で可能な処置は他にどんな奴が寝ころんでいたのかわからない備え付けの簡素なベッドで横になるくらいしかなく、下手すりゃストレスで症状が悪化するんじゃねえかとも思ったのだが、宮本ミックが結構真剣な顔をして「嫌だろうが寝ておけ」と言うので素直に従うこととし、幸い児童の健康なんざひとつも考えてねえだろコラ文部省的なあの学習机に突っ伏しているよりは楽になり、下校する時間までにはどうにかいかにも不健康そうに歩くことができるくらいには回復したのだが、それ以来、だいたい四年か五年に一度、オリンピックくらいの頻度で当時と同等か気持ちだけ軽いくらいの症状に見舞われるようになった。昨日、ちょうどその周期に当たったのか、同等レベルの苦しみに襲われ、あと少しで鋏かナイフを肩に突き刺し、原因と思われる部分の肉を抉り取ってしまうところだったが、2時間ほどで快方へ向かい、今はどうにかこうしてブログを更新するくらいの力を取り戻したのだけれど、改行に気を配るほどの体力はないので、こうして書き殴り感満載の形で締めたいと思います。

眠る体力が残っているうちに眠りたい

 度重なる葬儀、自身の心を苛み続ける目に見えぬ病の経過観察のための通院、その通院にかかる負担を軽くしてくださるありがたい制度を利用するために必要な諸々の手続き、相変わらずすぐにひび割れて血まみれになる両手、そういったストレスによるものなのか歯のあたりどころが悪かったせいなのか分からんが人生2度目の口内炎らしき嫌なできもの……2019年を迎えた美月雨竜さんは、どうも2019年さんからあまり好かれていないらしく、上記のような面倒事が重なってたいへんお疲れ気味である。微笑みで疲れを癒してくれるような女神もそばにいないので、仕方なくひたすらビタミン補給を心がけていたのだが、補給しすぎて腹痛に見舞われるという散々な有様である。同情するなら金をくれ。特に前澤さん。

 しかし、待てど暮らせど、どこかのあしながおじさんが大金を振り込んでくれる気配はないので、残念ながら同情してくれる者がいないのであろう。世知辛い世の中であることは知っていたが、せめて休むことを邪魔しないでほしいと切に願う。なにゆえ、眠ろうとするタイミングでびゅうびゅうごうごうと強風が家の周りを騒がしたり、こんな田舎でいったい何の目的があるのか知らないがヘリコプターらしき飛行物体の唸り声が轟いたりするのだろうか。まあ、自然現象とおそらく自衛隊と思われるヘリコプターに関しては、私がどうこうできるものでも言えるものでもないのだが、田舎趣味丸出しのアホ轟音を垂れ流すアホ車に乗っているアホ2、3名に関しては、すでにナンバーを控えてあるので、いずれしかるべき対策をとってやろうと画策している。心当たりのある者は今のうちに自重すべきである。農業を本職としている場合、ちょっとした前科の一つや二つはたいして怖くないのかもしれんが、快く思っていないのは私だけではなく、他でもない君らの農業仲間の内にも存在していることは理解しておいたほうが良い。

 せっかくの田舎道なのだから、マイク真木の「気楽に行こう」を口ずさみながら、車は手で押して進めたほうが風情があって良いと思うのだけれど、「車はガソリンで走るのです」というあのCMは、そもそも私が知っているのもちょっとおかしい古いCMなわけで、私より若い例のアホ2、3名は知らなくて当然なのだろう。仮にYouTubeかなにかで見ていたとしても、彼らの琴線には触れそうにない。無念。

気楽に行こう

気楽に行こう

 

 

葬儀を喜ばれるような人間にはなりたくないですね

 季節柄か気候のせいか、はたまた平成のうちに生涯を終えたいと願う者が多いのか、昨年末あたりから縁のある方々の葬儀が続いている。心なしか、地元紙のお悔み欄に掲載される名前も多いような気がする。各宗派のお経が耳に残っており、なんだか自分自身が供養されているような気持ちにもなってくるし、いい加減、疲れも出てきているので、これ以上続けば本当に葬儀過労死によって供養されることにもなりかねない。

 加えてここ数日はやたらと風が強く、地吹雪も続いている。夜中もばたんばたんと風が壁を打つ音が響き、ただでさえ疲れが溜まっているのに熟睡を妨げられる。疲れが溜まればストレスも溜まり、なおかつ寝不足となると体も心もおかしくなってきて、空腹のはずなのに食物が喉を通らないなんてことも出てくる。『水曜どうでしょう』さんが証明してくれているように、人間は寝れない食えないとなると機嫌を保つことが困難となり、それがまた更なるストレスの要因となり、肌が荒れてみたり、頭痛がしてみたり、せっかく眠れたと思ったら悪夢にうなされてみたり。

 考えてみれば、例年、年の初めというのは何かと良くないことが続き易い。そういう星の下に生まれているのだろう。もっとも、では年の中頃や終わり際に良いことが起き易いかといえばそういうわけでもない。生まれてこのかた、運を味方につけることがあまりできずにいる。なんとなく、このまま騙し騙しで生涯を全うする他ない気もしている。

 なんて後ろ向きなことばかり考えてしまうのも、きっと体と心が弱っているからなのだろう。そう考えられる程度の余裕はまだ残っているので、どうかこの辺で、もう少々落ち着いた日々が送れるようになってくれれば良いなとチョコラBBを飲みながら願っている。

桜が舞い散らかるのはJ‐POP界だけではない

 受験シーズンにスーパーへ行くと、菓子売り場の辺りが桜色に染まっていたりする。多くの菓子が合格祈願の限定パッケージを発売するからである。菓子売り場と清涼飲料水のコーナーは特に季節を反映しやすいようで、ハロウィン時期にはかぼちゃ色に染まっているし、この時期だとバレンタインが近づいているので、やけにハートマークがちらつく。

 食品パッケージの収集を熱心な趣味にしている場合、こういった限定パッケージもこまめに買いあさったりするのだろうが、幸い私はそこまで熱心な収集家にはなれていないので、定番商品の定番パッケージを記録保存用に購入しておけば良いかなという程度で、売り場の色合いが変わるたびに大量の菓子や清涼飲料水を買い物かごに放り込むようなことはしない。そこまでの経済的余裕があるわけでもないし、なにより菓子や清涼飲料水の類そのものが特に好きというわけではないので、やみくもに購入しても胃袋に収納する時に地獄を見ることになってしまう。好みはおろか体調や満腹度によって食事を残すことにまで厳しく非難するような人間ではないが、さすがにわざわざ買っておいて中身だけ捨てるなんてこともできない(さらに熱心なコレクターは中身が入ったまま保存している場合もある。当然、冷凍保存でもしない限り腐敗してしまうわけで、私には大量の腐敗した食品と共に暮らし続けられるほどのコレクター魂は宿っていない。ゆえに収集するのは、きれいに洗ったパッケージのみである)。

 その程度の収集家である私でさえ、そろそろ保存場所の確保に悩みはじめているのだから、より熱心なコレクターが専用の小屋を建てたり、どこか別に収納用の部屋を借りたりするのは無理もない話なのだ。同居人の理解が得られず、最悪の場合、家庭崩壊まで引き起こしたりするわけで、少しでも自分にコレクター的な性質があると感じる人間は、あらかじめ同居予定の相手とはしっかり話をつけておくべきだろう。同居する相手など現れそうもない私のような人間には無縁の話かもしれないが。

 しかし、私に縁のない話だからといって、私の友人・知人にさえ縁がないなんてことはなく、久しぶりに覗いたフェイスブックで知人の一人がどうやら結婚したらしいことを知った。私なんぞが繋がりの巣窟であるフェイスブック上で氏に直接祝いの言葉を贈っても大丈夫なのだろうかと悩んだあげく、判明から数日経った今なお、フェイスブック上では気づいていない振りを続けているのだが、とりあえずこの場で「おめでとう」と述べておくことにする。個人名さえ挙げなければ、「あいつ、美月なんかに祝われてやんのwww」と氏が馬鹿にされることもないだろう。というわけで、知人氏、結婚おめでとう。どうか、お幸せに。

結婚するって本当ですか

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注意:特に食事中の方

 少々汚い話になるが、小学校2年の時、同級生のN君が「自宅の便所で小さなカブトガニのような生き物を見た」と報告してきたことがあった。N君の家の便所は汲み取り式、いわゆる「ボットン便所」というやつで(冬場の寒さの影響もあって、北海道の田舎では今もそこそこ存在している)、夏場は油断するとハエが大量に発生する危険性は高いし、ゴキブリのほぼ存在しない北海道とはいえ、過度に不衛生な便所ならば多くの不愉快な下等生物が蠢きはじめることもあるだろう。しかし、「小さなカブトガニのような生き物」とは何なのか。いや、何なのかわかっていれば、N君だってこんな曖昧な言い方はしない。なんだかよくわからないが、N君の目には「小さなカブトガニ」に見えたのだろう。もちろん、ハエなどの常識的な範囲内の生きものが、たまたまそのような形に見えただけという可能性のほうが高いのであるが、全校児童を総動員しても30名弱でしかない秘境小学校のたった6名しか存在しない2年生たちの未発達な脳では納得のいく答えなど導きだせるはずもなく、口と態度の悪い者がN君を馬鹿にしはじめたり、比較的冷静な者が先述のような見間違い説を提唱してみたり、そこで引き下がれば良いものをN君が「ハエとかそんな感じじゃなかった」と“未知の生命体説”を断固主張しはじめ、私は「今さら、朝から余所の家の便所の話など聞きたくないわ!と叫んだところで話はこじれるばかりだろうなあ」なんてことを思いながら、なるべく不毛な言い争いから距離を置こうとしていたものの、残念ながら6名しかいない教室では、そう上手くいくはずもなく、「お前はどう思うんだ」などと意見を求められ、つい苛々して「お前の家の汚い便所の話なんて聞きたくない!」と結局本心をぶちまけてしまったのだが、案外効果があったようで、そろそろ担任がやってくる頃だったこともあるが、そのまま話は収束した。

 中学卒業以降、N君とは会っていないが、彼はこのことを覚えているだろうか。汚い話に苛立っていたとは言え、かなりきつい言い方になっていたはずだから、覚えているとすれば今なお私に怨みを抱いている可能性もある。もしかすると、家の便所に生息する奇怪なカブトガニ状の生命体を手懐けたN君が復讐に来るかもしれない。そんなのは、カルト・ホラー映画『吐きだめの悪魔』や井口昇監督の『ゾンビアス』並にばっちい復讐劇になりそうで想像もしたくない。まあ、まったく現実的ではない内容なので想像しなければ良いだけの話なのだが、復讐するにしても、便所に関連した復讐方法だけは選ばないでほしいと切に願う。

 

復讐之手引―恨みを晴らすための実践的方法

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「8歳女子の初期装備がくだものナイフってのはイカしてるよね」

 小学生の時、道徳の時間にNHK教育テレビのドラマを見せられることがあった(『虹色定期便』や『さわやか3組』など)。そのなかの「思いやり」がテーマの回で、はっきりと覚えてはいないのだけれど、なにかしら思いやりのなさを見せた男子グループに対し、女子が「男子は軽い槍しか持ってない」と冗談交じりに非難するシーンがあった。思いやり=重い槍、思いやりがない=軽い槍、というわけである。

 どうしてこの駄洒落台詞が記憶に残ってしまっているのかは不明だが、先日、かつて「アンパンマンは最後は暴力で解決しようとするくせにトドメをささないからダメなのだ」と言ってのけた知人の女にこの話をしたところ、リアル戦場ヶ原ひたぎ(更生前)らしくもなく「いい話じゃん」と言うので驚いたのだが、よく聞いてみると「思いやりが深い人間は、いざ自分が裏切られたと考えるとえげつない攻撃をしかけてくるものだから、思いやり=重い槍=攻撃力が高い、ってことでしょ?」という答えが返ってきて、こんな常に攻撃力の方向に考えが向かうような人間(RPGでは真っ先に武器を仕入れるタイプだろう)と長いこと知人関係を続けてきてなお五体満足でいられたのが不思議に思えてきた。気づいていないだけで、ゆっくりジワジワと殺され続けているのかもしれないけれど。

 しかし、私が五体満足でいられたのは、ひょっとすれば「いざとなったら相手の眼球を潰す覚悟がなきゃだめ」というのが口癖のこの知人が、心には「重い槍」を持っていなかったからなのかもしれない。少なくとも、一般的に「思いやりがある」と周りから評価されるようなタイプではない。十五年近い付き合いになるから、その間には私に対して腹を立てたことは何度もあったろうし、事実であれ勘違いであれ「裏切られた」と感じる経験があってもおかしくない年月だ。それなのに私がバリエーション豊かな罵倒のお言葉(不思議とあまり深刻にならない)以外の攻撃を受けていないのは、たぶん他人にそこまでの期待をしていないからであろう。

 思いやりというのは、相手の立場になって考える(相手の立場を想像する)といったことなのだろうけれど、そこから導き出された答えが正しいかどうかとは無関係である。「思いやりをもとう」とだけ言われてもちっとも心に響かず、「重い槍と軽い槍」という駄洒落だけが記憶に残ってしまったのも無理のない話だったのかもしれない。