例のコメントまとめ

 漫画『聲の形』に関する記事に繰り返し寄せられていたコメントとのやりとりのまとめ



(2014.8.31の記事)
2017/01/20 09:03
当然、石田将也は植野直花を選ぶのが正しいですよ

西宮硝子は天使です
天使は主人公の手に入ってはいけない存在です
主人公はずっと隣にいた人間の女の魅力に気付き、人間としての幸せを追求していくべきなのです



(2014.8.31の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/01/20 17:15  仮の名すら名乗らぬ人へ

 ずっと隣にいた(ずっとではない気もしますが)人間の女と呼ばれるキャラクターの魅力とやらがそもそも理解できないという話をしているのですが、正直、もうどうでもいいです。色々あって、この作品そのものはともかく、一部の読者の振る舞いにうんざりしています。



(2015.2.11の記事)
2017/02/10 04:00
西宮硝子ちゃんは「物語の象徴」そのものだと思いますよ
つばきちゃんというのはいい例えをお持ちです
作者の大今さんは西宮を物語内で死なせて、それをもって将也の成長を促すつもりだったようです
さすがにそれではということで西宮は生存させましたが、その代わりに東京に行かせることにしました
ようするに主人公の前からはいなくならなければ物語が終わらない存在だったわけです



(2014.11.23の記事)
2017/02/10 04:06ファンブックは読みましたか?
石田に西宮への恋愛感情はなく、恋愛という観点においては石田×植野の方の可能性が言及されました
作者さんによると「石田と西宮は近づけば近づくほど死にたくなる関係」らしいので、みんなが幸せになる為には石田と西宮がくっつくのはやはりどう考えても悪手なのでしょうね



(2015.2.15の記事)
2017/02/10 04:21
私のイメージでは将也も猫でしたね
将也は間違って犬(硝子)に恋してしまった猫というイメージです
だから、物語が終わった後には仲間の猫(直花)のもとに戻っていくのだと思います



(2014.7.9の記事)
2017/02/10 04:33
諦める強さ、逃げる強さというのは斬新な発想ですが、世間ではやはり認められる意見ではないでしょうね
それを認めると自殺の容認社会のようになってしまいますから

私は硝子の自殺への踏み切りよりもその後の立ち直り方に大いに疑問を持っていたのですが
(石田に生きるのを手伝ってほしいと言われたから?なぜ八重子や結弦ではいけないのか)
作者さんはあのまま硝子を死なせるつもりだったようで疑問は氷塊しました



(2014.8.31の記事)
2017/02/10 04:41
理解できる人もいればできない人もいるという事でしょう

一部の読者、仮に赤グループとしましょう
もう一方のグループは青グループです
好みの問題なので赤vs青で意見の相違や争いがあるのは仕方ないのですが、青派がなぜか自分らが正義のように振舞っていることに私はうんざりしています
白vs黒の争いじゃないんです
作者さんも語っていますが、この作品の登場人物達は正義と悪に分かれているわけではありません
もちろん誰が合っていて誰がバカなのか何が正しいのかといった話でもありません
よって単純に「正義は勝つ」といった見方だとズレた観点になりがちです



(2015.5.27の記事)
2017/02/10 04:51
いじめの理由に情欲が強く関わっていると憎悪の対象になるんですか
なんか嫌な思い出でもあるんですかね?
私はそんなハッキリとした攻撃する理由などなく、ナメクジに塩をかけるように西宮をいじめていた石田の方が憎悪の対象ですけどね
無邪気な子供の行動ではあるのでしょうが、それでいじめられる方はたまったもんじゃないでしょう

それと植野に関してのいじめには情欲以外にちゃんとした理由があります
ファンブックの作者さんの発言からは、その理由には硝子に親切にしたことでかえって受けてしまった「逆差別」だったということが書かれています



(2015.2.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 09:40  仮の名すら名乗らぬ方へ

 私はすでに『聲の形』のあらゆる論争や「ファン」の方々と関わる意欲をほぼ失っているので、映画版は観たものの、ファンブックやパンフレットなどには目を通していません。ゆえに、おっしゃっている内容に関しては知りませんし、確認のしようもないので、単純な否定も同意もできません。

 ただ、そうだとすると、なぜ最後が同窓会の場面になったのかという疑問が生じます。まあ、少年マンガ的なファンサービスと言ってしまえば、それまでなのかもしれませんが。

 ちなみに、この記事を書いた当時はともかく、現在の私は、描かれた物語の「先」において、将也が硝子と付き合っていようがいまいが、正直どちらでもよく、もっと言えば植野も含めた他の誰かと付き合っていてもいいし、ずっと誰とも恋愛関係にならずに生きていてもいいと思っています。

 わからないのは、「植野と付き合うべき」と強く主張する人が、その理由としてよく挙げる「ずっと強く思い続けていたから」といったものに対してです。上記コメントに関しても、硝子と「硝子と付き合ってはいけない理由」ではあっても「植野と付き合うべき理由」にはならないと思いますし。まあ、このコメントでは、「だから植野と付き合うべき」とは一言も書かれていないので、別に問題はないのですけどね。



(2014.11.23の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 09:53  仮の名すら名乗らぬ方へ

 他の『聲の形』に関するコメントと同じ人なのかどうかはわかりませんが、とりあえず管理画面の最新コメントに上がった順に返信させていただきます(ここは2月9日にコメントいただいた分の2つめになります)。

 別のコメントへの返信でも書きましたが、私は『聲の形』のファンの方々の論争に加わる意欲をほぼ失っており、映画版は観たものの(この記事でおそれていた主題歌問題のせいで、あまり好意的な評価はできませんでした)、ファンブックは読んでいませんし、いまだに読む気にもなっていません。その詳しい理由は、別のコメントへの返信で触れさせてもらいます。

 さて、ファンブックを読んではいないので、指摘された点に関して「そうでしたね、その通りです」と同意することも、「いや、そんなことは書いていない。書いてあったと思われているなら、誤解釈だ」と否定することもできません。

 ただ、「近づくほど死にたくなる関係」というのが、物語の終盤においてもそうなのかというのは疑問に思います。今でこそ私は、この記事を書いた当時とは違い、別に硝子と将也がくっつかずとも良いとは思っていますし、また当時でさえ、将也が意識不明の状態から立ち直り、文化祭に足を運ぶ展開を見るまでは、たしかにこの二人が今のままくっついてもろくなことにはならないな、という思いはありました。しかし、それが物語の結末においても変わらなかったとは思いません。将也が硝子とくっつこうが、植野とくっつこうが、あるいは他の誰とも付き合わず独り者として生きていこうが、それはどれでも良いと思っていますが、さすがに「近づくほど死にたくなる関係」のまま物語が終わったとは思えないのですが、そこに関してファンブックなどではなにか書かれていたのでしょうか。



(2015.2.15)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 10:02  仮の名すら名乗らぬ方へ

 私は将也を猫だと感じたことはありませんし、今回のコメントを受けて、改めて少し考え直してみても、残念ながら、あまりそんなイメージは持てませんでした。もっとも、その理由はともかくとして、今では私も将也が物語の「先」で誰と付き合おうが、あるいは誰とも付き合わずに過ごそうが、それはどうでもいいと思っているので、将也に対して猫的なイメージを持てなかったことを理由に「だから硝子と付き合うべき」と主張するつもりはありません(そもそも、私は硝子と付き合うべきだと思っていたわけでも、どんなことがあれ植野とくっついてはいけないと思っていたわけでもなく、植野と付き合うべきと強く主張する人達が理由として挙げる内容に納得いかなかっただけです)。

 ゆえに、このコメント単体に関してましては、「なるほど、そういうイメージを持つ人もいるんですね」以上のことは言えません。



(2014.7.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 10:13  仮の名すら名乗らぬ方へ

 むしろ、自殺をさせないために、諦める強さ/逃げる強さを持つ(あるいはそれを責めない社会を目指す)べきではないかと私は考えています。

 もっとも、諦めない/逃げない強さというのも、最終的には死を招くものではあると思います。梶原一騎の描く主人公の多くが廃人状態になったり真っ白に燃え尽きたりするのは、展開から考えれば当然なことで(あそこまで無茶な努力を続けていれば、当然燃え尽きます。梶原一騎はそれを美徳と思っていたのかもしれませんが、私はその感性には否定的です。ただ、梶原一騎的な努力の果てに都合良く幸せになっているような物語にはもっと否定的ですが)、それはある種「ゆるやかな自殺」と言えなくもないのではないかと思います。



(2014.8.31)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 10:34   仮の名すら名乗らぬ方へ

 なら、どうして最初のコメントで「植野直花を選ぶのが正しいですよ」と切り込んでくるのか理解に苦しむところですが、まあ、そこは置いておきます。同じ人のコメントなのかどうかも確認していませんし。

 ちなみに、私がうんざりしているのは、別に「どうしても植野と将也が付き合うべきだと主張する人たち」だけではありません。今となっては、私も「付き合うべき理由」として挙げられる内容に賛同できないものが多いとはいえ、「植野と付き合う将也」という未来そのものを否定するつもりはないのです。というか、その未来自体を否定する気は、根強い硝子ファンであった、この記事を書いた当時でさえ、なかったと思います(ついでに言えば、根強い硝子ファンであった時でさえ、硝子と将也が最終的に付き合わなければならないとは考えていませんでした。実際、過去の記事の中で、そんなことも何度か書いていたはずです。ファンだったので、そうであれば嬉しいとは思っていましたけどね)。

 今の私がうんざりしているのは、「硝子か植野か」といった推しメン争いのようなものよりも、むしろ『聲の形』を読んで「“差別的感情のあさましさ”や“負の感情にとらわれがちな人間の弱さ”といったものが見事に描かれていて感動的だ」といったような感想を述べていたはずの人たちが、現実の問題(世の中に溢れる様々なニュースとかですね)に対して、あからさまに差別的な言動を見せていたり、そういった言動の目立つ人が「ファン仲間」とやらの中にいても、あまり気にしていなさそうだったりすることです。

 あと、「植野がバカだ」というフレーズそのものは、『水曜どうでしょう』のやりとりのパロディなので、そこまで深い憎悪の表明として書いたものではありません。むしろ、こんなやりとりを同窓会後の将也と植野ができるようになっていたのであれば、それは将也と植野の仲が前よりも良好になっている証でしょうから、私が今以上に植野を嫌っていた時期における「植野をもう少し好ましく思うためのリハビリ」みたいなものでもあります。まあ、植野ファンから反感を食らうことは前提として。



(2014.7.20の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/10 10:57   仮の名すら名乗らぬ方へ

 いじめの理由が情欲であることへの憎悪に関しては、それが「減刑の理由」となるものではないと私は考えているのに、どうも世間ではそうなっていない気がして、そのことに対して強く反対の意志を表しておきたいからです。実際、植野を擁護する時に、「こんなに長い間思い続けているなんて可愛いじゃないか」という意見がちらほら見えて、そのことが私を極度の植野嫌いにさせた最大の理由だった気もします。まあ、「情欲を理由とすることの憎悪」はそれだけで長い記事になりそうなので、ここでは簡単にこのくらいの説明で済ませておきます。

 理由がある攻撃と理由のない攻撃、どちらがより悪質か、というのは、一概には答えかねますが、私は「その理由に正当性が感じられない場合は、理由のある攻撃のほうをより嫌悪する」というタイプです。また、小学生の頃の将也が硝子をいじめた理由が「はっきりとした理由がない」とは思いません。あれはあれで「硝子が変なやつだった(そう見えた)から」という、あまりにも幼稚な理由があると思います。その後の描かれ方で私は将也に対する憎悪は薄まってはいきましたが、あの頃の将也が植野よりもマシだと思ったことはないです。

 ファンブックは読んでいませんが、植野の情欲以外の理由に関しては、他の人のブログやツイッターなどでも、連載当時からたまに挙がっていたように記憶しています。私自身も、どこかで軽く触れたような気もします。ただ、植野の独白回において、そういった点への描写があまり感じられなかったのは、植野を今よりも嫌っていた連載を読んでいた頃の私でも少々残念に思いました。

 追記ですが、何度か『聲の形』関連の記事でも触れている『ダークナイト』のジョーカーや『ダーティハリー』のスコルピオ並の「犯罪そのものが目的」といった純悪が相手だと、これはもう自然災害に巻き込まれたようなものなので、相手に対する憎悪自体が虚しくなります。「理由があれば殺してもいいのか?」という問いをたまに耳にしますが、「理由のない殺しに悪質の度合いといった議論が意味を成すのか?」という問いもあります。



(2015.2.11の記事)
すぺーす2017/02/11 08:29
情熱失っちゃいましたか…それは残念です
そんな中で長文で返信してくださってありがとうございます

作者さんは本来マンションから落ちるのは石田ではなく西宮にする予定だったようです
そしてそのまま作品上から退場するはずだったらしいです
西宮がつばきちゃんそのものに見えていた私はそれを聞いて「ああやっぱりな」と思いました

ちなみに私は「植野と付き合うべき」と考える者ですが「ずっと強く想い続けていたから」というのも理由の一部にはなりえるんじゃないですか?
エンターテイメントの文法的に一番想いの強いものが勝つ展開こそが王道です
恋愛がテーマの作品なら「主人公」の方が何をおいても優先されるのでしょうがそうした作品でもないわけですから「少年マンガ的なファンサービス」を恋愛面において受け取るのは植野が一番相応しいはずです



(2014.11.23の記事)
すぺーす2017/02/11 08:36
作者さんはその「近づくほど死にたくなる関係」が解消されたともされてないとも書いていません
ですが私の解釈では、少なくとも石田側からは解消されていないと思っています

その理由としては正直二人の関係の何が変わったか理解できないことにあります
美月さんの感想と同じ「今のままくっついてもろくなことにはならないな」の状態から、何か変わりましたか?
石田側から顔に×をつけていたキャラクター達との関係が変わったのは分かりますが、硝子との関係がどう更新されたのか私には分かりません



(2014.7.9の記事)
すぺーす2017/02/11 08:48
社会的に目指す理想というのは、諦める/逃げることを弱さとしたうえで「弱い者に寛容な社会」だと思います
弱くたっていいじゃないっていうね、現実はそんなぬるいものではないですが
諦める/逃げることを強さと認める価値観も分からなくはないですが私は諦めグセ逃げグセのある人間なので、自分にはない強さの方に憧れの意味合いを込めて美徳を感じてしまいます

努力の果てに都合良く幸せになっているような物語には私も否定的です
しかし諦めた先、逃げた先に都合よく幸せになるような物語にはもっと否定的です
私はいわゆる「西宮硝子アンチ」ですがそうなった理由としてはこの聲の形という作品が、彼女が諦め逃げた(自殺を選んだ)先に都合のよい幸せな展開が待っているような話に見えてしまうからです



(2015.2.15の記事)
すぺーす2017/02/11 08:54
「植野と付き合うべき」と強く主張する者ですがその核たる理由を書きます
はっきり言って西宮硝子という存在が主人公石田にとって都合が良すぎるからです
男の目線から見て理想的な女すぎるからです
まるで物語の中にしか存在しえない天女様のような存在です(実際これは物語なのでその通りなのですが)
そんなわけで先のコメントで書いたように私は西宮硝子をつばきちゃんのような物語の象徴として捉えておりました

植野はそんな西宮とは真逆の存在で徹底的に現実を象徴した女です
もちろん植野も実際には物語の中の住人です
しかし美月さんがそんなにも植野に憎悪を向けられていたのも、彼女の描写があまりに現実の人間臭さを伴ったものだからではないでしょうか
つまり「現実にいそうな女」として植野は素晴らしくよく描かれていたキャラクターでした

私は主人公石田には現実の女の元へと着地してほしいのです
そのうえで幸せになってほしい
そっちの方が現実的な希望を感じるからです
西宮のような物語の中にしかいない天女様と幸せになりました、なんて話を見せられても反応に困るんです
だって我々の住む現実世界では手にできない幸せですから



(2014.8.31の記事)
すぺーす2017/02/11 09:05
美月さんが聲の形に情熱を失った理由よくわかりました
聲の形のような見事な作品に触れても、結局人間なにも変わらないんですよね
その原因としては作品に対する姿勢の軽さがあると思います

あのラストで「将也と西宮ちゃんが幸せになれてよかったね、ちゃんちゃん♪」みたいな心地よさを感じた人って、この作品を単純に「消化」してしまえたと思うのです
そんな人にとっての漫画やアニメなんて右から左なんですよ
私はそういった姿勢の人達に向けてのハッキリとしたバッドエンドを見せるべきだったと考えます
単純に消化できない作品であってほしかった
モヤモヤした方が絶対いろいろ考えますから
ですから、作者の語る当初の予定だった「西宮硝子死亡ルート」の方がむしろ良かったのにと思っています



(2014.7.20の記事)
すぺーす2017/02/11 09:11
減刑の理由」ということについて考えてみました
そういったものがあるとしたらおそらく実際の裁判でも適用される要素であろう「反省の度合い」でしょうか
やっぱり第三者的にも、どちらかといえば深く反省してる方に情状酌量の余地を持ちやすいものでしょう

それについて石田と植野を比較してみてください
もちろん深く反省したのは石田の方なんですが、石田って簡単に反省できるんですよ
なぜかって罪を犯したその理由があまりに幼稚だから
あれはもうそれこそジョーカーのような純悪でもない限り100%自分が悪い、反省するしかない出来事です
ところが植野の視点からだとそう簡単ではないんです
植野はもちろん加害者ですが石田と違って彼女自身も確かに被害を受けていますから
もちろんだからといって「いじめ」という行為に正当性が生まれるものではありませんけどね
彼女が受けた被害についてはおっしゃる通り本編内では描写が薄くファンブックの方で作者の言葉で補完されていました

長くなりそうなのでこれ以上は控えますが、私の場合はそうした減刑の理由=反省への道筋が最初から用意されている石田の方に強烈な嫌悪感を持つタイプです
なんだよこれ、茶番じゃないかってね



(2015.2.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 16:14   すぺーすさんへ

 意欲を失った主な理由は、別のコメントへの返信に書いた通りです。
 ゆえに、正直に言いますと、コメントが私の意見に肯定的であろうと否定的であろうと、『聲の形』関連の記事へのコメントであった時点で、今の私は「他にもっと熱心にファンを続けている人たちがたくさんいるのだから、そういう人たちと話していてくれないかなあ」なんて思ってしまうほどなのです。むしろ硝子や植野の話より、つばきちゃんや『カスカベボーイズ』という作品について話したいくらいです。まあ、なら『聲の形』関係の記事を削除すれば良いのですが(実際、どうでもいい記事を何件か削除しました)、すべて消し去ってしまうのも、それはそれで何か自分の中でのルールを破るようで嫌だなと思い、そのままにしてあります。

……という心情吐露はこのくらいにして、「一番思いが強いものが勝つという王道の展開」に関してですが、そもそも、私はこのタイプの「王道」に疑問があるのですね。「思いが強ければそれでいいのか?」という。もちろん、そういった王道の物語全てを否定するわけではありませんし、なかには私自身、けっこう好きなものもあります。ただ、そんな王道の物語で好きになれたものは、基本的に「思いが強ければそれでいいのか?」という疑問を感じさせない作りになっています。多少、都合の良い作りではあっても、なにか描き方の勢いで押し切られてしまったりとか……。当然、受け取る側それぞれの感性の差にもよりますけれどね。

 もっとも、それ以前に、私はあまりラブストーリーそのものが好きではないのですけれどね(だから、硝子ファンでありつつ、連載当時から将也と硝子がくっつかなくても別に構わないと思っていたのでしょう)。なので、映画版の主題歌のタイトルを知った時、かなりがっかりしたことを覚えています。



(2014.11.23の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 16:35  すぺーすさんへ

 連載を追いかけていた時の私は、すんなりと「変わった」と感じていましたし、少なくとも「交際して幸せになれるかどうか」は別として、「近づくほど死にたくなる関係」のままだとは思いませんでした。今もその思い自体が揺らぐことはないのですが、なにせ『聲の形』と関わる意欲をほぼ失ってしまった現在、あらためて読み返す気力が湧かないので、具体的に説明することができません(この記事を書いていた頃は、単行本を手にとりやすい場所に置いていたのですが、今は資料庫として使っている離れに保管してあります)。

 まあ、「具体的」とは言っても、関係性なんていうものを具体的に説明するというのは、ほぼ無理という気もします。

 すぺーすさんがおっしゃる「理由」も、「どう関係が更新されたのか分からない」というものですし、これだと結局、「自分は変わったように見える」「自分は変わったように見えない」というだけの無意味な問答だけで終わってしまいそうです。読み返せば、なにか手がかりがつかめるのかもしれませんが、今の私にその気力はありません。

 今の私に言えるのは、私(美月雨竜)にとって、どうやら『聲の形』は、あまり深く関わりすぎると不幸になる存在だ、ということですかね(いや、作品自体を否定するつもりはないのですけどね)。



(2014.7.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 16:44  すぺーすさんへ

 強い者なんかそうそういない、という前提に立ったほうが良い気もしますね。
 また、「諦める/逃げる」ことを強さと認める、というよりも、「諦めないことも、度が過ぎればそれはある種の弱さだ」と考えたほうが良いと思っています。どちらも結局は程度問題ということになってしまいますが、しかし、どうも「諦めない/逃げないことは強い」という盲信にも似た価値観に毒されすぎている人が多いのではないかと感じます。

 私は、すぺーすさんがおっしゃるような「硝子が逃げた先に都合よく幸せが待っていた」という展開だとは今も思えないのですが、しかし、硝子ファンであったからこそ思うのは、別に硝子は将也と再会しなくても良かったんじゃないかということです。「将也の物語」であるから(都合の良し悪しは別として)、こんな展開になったのだろうけれど、「硝子の物語」としては、まったく別の幸せなルートが提示されたほうが良かったのではないかと思う時があります。自殺まで考えるほどの茨の道を歩まんでも、と。将也との再会直後、硝子は嘘か本当か判断しかねるところですが「今の学校では楽しくやっている」と答えたようですが、どうせならその姿のほうが見たかったと思います。



(2015.2.15記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 16:56   すぺーすさんへ

 私は硝子が「あまりに理想的」と思ったこともないのです。あれはあれで、悪く言えば、恋愛関係だろうと友達関係であろうと、けっこう面倒な相手だと思います。なので私は、硝子も植野も含め「誰とくっつく“べき”」という考えそのものに否定的なのです。そのなかで、特に植野とくっつくべき理由が納得できなかった、ということです。全員、「それなりの友達関係」を続けていくのがベストなんじゃないかと思っています。

 植野がよく描かれたキャラクターだという点は、植野を今よりも嫌っていた時でも同意したことでしょう。もっとも、色々あった現在、私はたぶん『聲の形』のなかでいちばん好きな登場人物は、硝子でも植野でもなく、川井になっています。川井の言動だけに注目して書いた記事があるのですが、あの記事だけは『聲の形』について考える意欲を失ってしまった現在もなお、けっこう自分でも気に入っていて、一度も削除しようと思ったことがありません(削除どころか、時折読み返して、いろいろ手直ししたりしています)。



(2014.8.31の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 17:08  すぺーすさんへ

 いえ、「将也と西宮ちゃんが幸せになれてよかったね、ちゃんちゃん♪」というだけの感想の人たちであれば、ここまでがっかりすることもなかったと思います。その程度の感想で終わる人なら、しょうがねえやと思えましたからね。まあ、あまりがっかりした人たちの具体的な言動を細かく述べるのも、私の精神衛生上よろしくないので、これ以上は沈黙しておきますけれど。

 「映画版は木皿泉の脚本で、監督は新海誠が希望」と書いたことがあるのですが、今だとトッド・ソロンズ監督の手で実写映画化というのが私にとっては最もビシっとくる布陣だったように思います。『ウェルカム・ドールハウス』『ハピネス』『アビバ おわらない物語』といった、シニカルなんて言葉では到底表しきれない、とんでもない世界観をぶつけてくる映画作家なのですが、そんな人の手で再構築された『聲の形』は、さぞかし煮ても焼いても食えない凄まじい内容になったことでしょう。



(2014.7.20の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/11 17:21  すぺーすさんへ

 私は「将也が最もファンタジーな存在だ」と考えていた時期があって(今も「最も」とまではいかないまでも、そんな気がしています)、それは、たしかに将也の行いはすぺーすさんがおっしゃるように、その後の展開も含め「反省せざるを得ない」ものでしたが、私には小学生時代の将也的ないじめをした者が「反省する」とは考えにくいように思うのです。ジョーカーやスコルピオ的純悪とは違いますが、あのタイプの幼稚な加害者は「あの時は俺も子供だったからさあ」などという言い訳で自分の罪を軽く考えたり、場合によっては「たいしたことではない」と忘れたりするものだと思うのです(ジョーカーやスコルピオの場合、罪を罪と認めない、というわけではないですからね)。

 なので、すぺーすさんが「茶番じゃないか」と思うような展開を経なければ、「反省するいじめ加害者」というものは、なかなか描けないのではないかと思うのです。まあ、茶番に見えようが、都合が良いと感じようが、物語の中とはいえ、「起ってしまった」以上、あとは読者が考えていろいろと感想を述べることしかできないのでしょうけどね。



(2015.2.11の記事)
すぺーす2017/02/12 07:40
たまたまここのブログを見つけて、律儀に返信していただけるもので居座ってますごめんなさい
他にもっと熱心にファンを続けている人たちというのも最近はあまり見かけず、映画の公開が終わったらこんなものかなと思っております

主題歌に関して、あれはaikoさんがどういった経緯で作詞したのかなど吐露しておりましたが作品の内容とは全く関係ないものでした
あまり気にしない方がよろしいかと



(2014.11.23の記事)
すぺーす2017/02/12 07:51
自分語りするのもなんですが私の方はすでに深く関わりすぎて不幸になっています
今では「こんな作品に出会わなければよかった」とすら思っています
人を幸せにする作品ではありませんよね、これ



(2014.8.31の記事)
すぺーす2017/02/12 08:01
そうなんですか…
一体どんな言動を目にしたのでしょう?
もしかして私の言動もその一端なのだとしたら、精神衛生上よろしくないでしょうからもう返信していただかなくてよいです
でも個人的に興味があるのでもし気が変わったら教えていただきたいです
気が変わったらでいいです

トッド・ソロンズ監督の作品は見たことないです…
でも私も希望とはまったく違う映像化でした、山田尚子じゃ毒がなさすぎる…



(2014.7.20の記事)
すぺーす2017/02/12 08:21
私は「もし自分が将也だったら」という過程で話をすると、同じように深く反省していたのではないかと思えます
もし同じ経験をすればですよ
ファンタジーというのはまさにその経験自体のことで、それは非常に漫画的作為的な経験でした
彼に影響を及ぼした西宮(飴)と島田(鞭)という環境がファンタジックなのであり、彼自身はリアリティのある存在だったと思っています
ああいった飴と鞭で教育されればあのタイプの幼稚な加害者でもさすがに矯正されるのではないでしょうか

私もそういったものがなければ物語が描きづらいだろうとは思います
でも私の感想ではそんな「反省して当たり前」の環境に身を置いた石田の深い反省よりも、そういったものなしたどり着いた石田とは比べるべくもない浅さの植野のほんの少しの反省の方が価値があるように見えます



(2015.3.11の記事)
すぺーす2017/02/12 08:32
私は生粋の植野ファンですけど川井さんも嫌いではありませんよ
嫌いなのは硝子です
川井は植野と同じくリアリティのある人間性で私はそういうキャラクターをこそ好みます

川井の正体とはおっしゃる通り「計算高い女」などではなく「突き抜けた天然」でした
これは私もまったく勘違いしており、彼女は「計算高い女」に見えたからこそあんなにも読者に嫌われる存在だったと思っていました
でも違った
多分ですけどね、いわゆる川井回での答え合わせがされるまで彼女がどう見えていたかは見る者の人間性に相関していたと思うのです
川井さんが「計算高い女」に見えた人(私もですが)ってのはおそらくその人自身が計算高く腹黒い人間なのでしょう
あのキャラクターはまるで見る者の心の写し鏡のようでした



(2014.7.9の記事)
すぺーす2017/02/12 08:43
負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと〜♪
って歌がありますもんね、ちょっと古いですけど
洗脳されてますよね

私は西宮嫌いですけど、私も彼女には幸せになって欲しいです
将也抜きに幸せになって欲しい
将也の側からもそうなのですがあの2人には「お互いの存在無しには幸せになれない」といった依存関係にだけはなって欲しくないなと思います



(2015.2.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 16:29   すぺーすさん
 
 とりあえず、「コメントをくれた相手が会話が終わったと判断してコメントを終える(コメントしなくなる)までは返信する」という自分なりのルールを設けているので、単なるスパムやあまりにもひどい罵詈雑言以外は無視しないようにしています。

 主題歌に関してですが、基本的に私はジャンルとして「マンガ」よりも「映画」が好きなので、映画に対してのほうがいろいろとうるさくなってしまいます。なので、「気にしない」ということができなくなってしまうのです。本当なら映画におけるエンドクレジットの在り方とテレビシリーズにおけるOP/EDの在り方(それぞれの効果など)について私なりの考えを述べていきたいところですが、ここでは「気にしない方が良いと言われても、あれのせいで大きく映画版への私の評価が低くなったのは事実なのでどうしようもないのです」とだけ書いておきます。



(2014.11.23の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 16:32  すぺーすさん

 私もこんなに感想記事なんか書かなければよかったと思ってます。
 せめて、一人で読んで感動して、その思いは外に出さず、他の意見も見ないようにすればよかったと思います。



(2014.8.31の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 16:43
すぺーすさん

 別のコメントへの返信に書いたとおり、私なりのルールを「コメントには必ず返信。コメントをくれていた人からの返事がなくなった時が終わり」としているので、スパムやひどい罵詈雑言でない限りはルールを守っていきます。

 うんざりした言動についてですが、やはり、あまり語りたいものではないですね。それでもひとつだけ例を挙げると「どんな相手でも蔑むような言動はダメ」なんて言っていた人が、さほど時を経たずに「マスゴミ」というワードを普通に口にしていましたね(その理由は「実際にマスゴミはいると思うから」でした。そりゃ、ひどいマスコミが存在するのは当然ですが、人がなにかを蔑む場合、それは妥当か否かは別として、対象が蔑むべきものだと考えているからそのような言動になるわけであって、結局、自分の蔑みは蔑みではないとしか言っていないのと同じじゃないかと)。そして、その人は、また別の時に、自分と相容れない相手を「ゴキブリ」と例えていました。それで『聲の形』は素晴らしい作品だとか感動していたのだから、こちらとしては腹立たしいやら虚しいやら、そんな気分にさせられます。

 トッド・ソロンズ監督の作品ですが、間違っても万人に勧められる内容とは言えないので、「是非、ご覧ください」などと軽々しくは言えませんね。もし興味がおありなら「何があっても自己責任だからな」という竹内先生の言葉を胸に刻みながらご覧ください。



(2014.7.20の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 16:52   すぺーすさん

 ああ、なるほど。たしかにカースト転落以降の将也の境遇こそファンタジーというのは、今となってはかなり頷けます。それでも、私の心のどこかに「そうは言っても、あそこまでのいじめの加害者が、あれほどのファンタジーな経験を経たとしても反省するものかなあ」などと思ったりもするので、ゆえに環境も含め、将也という存在自体もファンタジーと感じていたのでしょうね。

 将也と植野の反省のどちらにより価値があるか、という問いは、ちょっと簡単に答えられるものではないと思うので、私からの言及は避けますが、かなりの植野嫌いであった私も、最後の将也と植野二人きりの会話(植野がピーナッツをぶつけられた直後の場面ですね)を読んだ後では、かなり嫌悪感は薄らいでいました。



(2015.3.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 17:42
すぺーすさん

 川井に注目した考察や感想って、あまり見当たらないのですよね。
 やっぱり、自分を見るようで嫌になってしまうのですかね。



(2014.7.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/12 17:56  すぺーすさん

 あの歌(「それが大事」)の歌い手である元・大事MANブラザーズバンド立川俊之さんは、2015年1月に放送された『しくじり先生』で、20年以上あの歌をうたいつづけた結果「何が大事かわからなくなった」と話していました。そして、結局あの歌で歌われるものの中でどれが一番大事なのかという問いに「どれも大事じゃない」と言い切ってしまっていました。うたっていた本人がそう仰るのだから、もはやあのような価値観こそ「古い」ものなのかもしれませんね。そのほうが良いとも思います。

 将也と硝子が交際しても良いと思っていた(まあ、しなくてもいいのですが、今でもその未来が駄目だとは考えていません)私でも、そういった依存関係は勘弁願いたいですね。恋愛って、そこまでどろどろしなくても良いだろうと思います。私がラブストーリーが苦手なのは、「君なしでは生きられない」というような台詞が嫌でしょうがないからでもあったりしますし。

 そういえば、「それが大事」の立川さんは、上記の番組のなかで数多のラブソングに見られる「君を守り抜くよ」「生涯離さない」的な歌詞に対しても「嘘つけ」などと切り捨てていました。



(2014.8.31の記事)
すぺーす2017/02/19 08:01
私はね、聲の形が結局はそういったうんざりするような偽善者が喜ぶだけの作品になってしまったのではないかと思うんですよ
かわいそかわいい西宮ちゃんをいじめた石田が酷い目にあって植野が失恋して川井が読者みんなに叩かれて「あ〜気持ちよかった」ってなるだけの勧善懲悪になってしまったのではないかってね

西宮硝子が死ぬルートだった方がまだもう一歩深く考えさせる作品になってたのにな、と思います
映画でもそうですけど一般的にバッドエンドと言われる終わり方の方が「なぜそうなったのか」を考えさせる力があるのです
ハッピーエンドなんて「あ〜気持ちよかった」で消化されてしまうだけなんです
聲の形は『素晴らしい作品』になりそこなった作品だと思っています



(2014.7.9の記事)
すぺーす2017/02/19 08:06
面白いですねそのエピソードは
立川俊之さんには歌の外でも綺麗事を言い続けて、歌を汚さないようにする選択肢もあったと思います
そして歌手・作詞家・表現者としてはそっちの方が正しいように思えます
それでも外でそんな切り捨てをする立川さんのセンスを私は称えます



(2014.7.20の記事)
すぺーす2017/02/19 08:16
嫌悪感薄らいだんですか?
それもどうかと思うんですよね、作者の思惑通りなんじゃないんですか?
素直すぎやしませんか
私は物語が後半になるにつれ将也への嫌悪感が徐々に濃くなっていきました
西宮や島田はファンタジーなんでどうでもよかったです
嫌悪感を持つ価値すらないと思ってました



(2014.8.31の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/19 14:47   すぺーすさん

 別の「素晴らしい作品」を見つけて、それを推していったほうがいいんじゃないでしょうか。
 私はすぺーすさんほど『聲の形』自体を批判する気はないのですけれど、これまで述べてきた様々な理由によって、読み返したりする意欲を失って久しいですし、現在は、基本的に別の好きなものを観賞して、楽しんだり一人で考えてみたりしています。



(2014.7.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/19 14:55  すぺーすさん

 自分のやっていたことが間違いだったと感じたとき、なかなかそれを認めることができる人もいないわけで、表現者としても立川さんの上記番組での発言が「正しくなかった」とは私はあまり思えなかったりします。

 もっとも、流行歌というものは、歌われている内容に共感できなくなっても、その時代を彩るものとして別の意味や輝きが生まれたりもするわけで、立川さんが歌詞の内容を自ら否定しても、一概に「歌を汚した」ということにはならないのではないか、とも思います。



(2014.7.20の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/02/19 15:04   すぺーすさん

 元々、私は『聲の形』という作品自体に、すぺーすさんほど批判的ではなかったので、素直すぎないかと言われても、「ああ、そう感じる人もいるのか」くらいにしか思いません。それに、将也に対しては、前の返信の通り、最後まで心のどこかに「あれほどのファンタジーな経験を経たとしても反省するものだろうか」という思いはあったわけです。若干、嫌悪感が薄らいだというのは、植野に対しての話です。連載時における私の植野に対する嫌悪感は相当でしたからね。

 少々疑問なのは、すぺーすさんは、それほど将也への嫌悪感が濃いのに、どうして植野と付き合って現実的な幸せを得るべきと考えているのでしょうか。

 色々と劇中で波瀾万丈があったために、将也を応援したい気持ちが芽生え(それが素直すぎるという意見に関しては、たしかにそうかもしれません)たものですが、小学生時代の所業を考えれば、上記どおり「そうそう現実であそこまでやったやつが、いかにも物語的なあれこれを経たとしても反省するものだろうか」という思いは私にもあったわけで、それ以上に将也に対してよい印象を持てない人であるなら、現実的であろうとなかろうと(相手が硝子であろうと植野であろうと他の誰であろうと)、あまり将也の幸せって願いにくくなる気もするのですが。



(2015.3.11の記事)
すぺーす2017/03/13 16:37
そうです
川井はあなたでありわたしです

人が「計算高い女」を嫌うのにはその裏に自分をよく見せようとする「媚び」があるからだと思うんですよね
まぁそれがない人ってのは私の考えではいないんですけど
それを踏まえて私がもっとも「媚び」を感じた気に入らないキャラクターは西宮硝子でしたけどね
川井は「計算高さ」を読者に対して隠しきれていませんでしたよね
対して西宮の(西宮を作り出した作者の)媚びは川井以上の隙の無さを誇っていました



(2014.11.9の記事)
すぺーす2017/03/13 16:42うん
幸せそうなカップルを見て微笑ましい気持ちになりたいです
将也と植野のカップルを見て、ね



(2015.3.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/03/13 21:43  すぺーすさん

 作品に対しても西宮というキャラクターに対しても、以前ほどの思い入れはなくなってしまいましたが、それでもすぺーすさんがおっしゃるほどの嫌悪感なんてありませんし、かといって西宮が気に入らないという人がいてもそれはそれでしょうがないとは思いますし、強いて言えば別のお返事にも書いた通り、『聲の形』以外の自分が良いと思う作品を観賞すれば良いのではないのですか?

 何度も言っている通り、私が今も引っかかっているのは「将也と(恋愛的に)結ばれる相手が植野でなければいけないと主張されている理由」なのです。植野と結ばれても別に構わないけれど、植野以外だとダメだという理由です。

 そして、すぺーすさんが別の記事でコメントされた「私は物語が後半になるにつれ将也への嫌悪感が徐々に濃くなっていきました。西宮や島田はファンタジーなんでどうでもよかったです。嫌悪感を持つ価値すらないと思ってました」という内容と他の多くの主張との整合性に関する疑問です。上記内容を読むと、西宮に対する嫌悪感はともかく、植野と将也が結ばれて幸せになることを望む理由が理解し難くなります。



(2014.11.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/03/13 21:49   すぺーすさん
 他のお返事と繰り返しになりますが、私が今もすぺーすさんの主張に対して納得できかねているのは、「将也と(恋愛的に)結ばれる相手が植野でなければいけないと主張されている理由」です。

 そして、他の記事において「私は物語が後半になるにつれ将也への嫌悪感が徐々に濃くなっていきました。西宮や島田はファンタジーなんでどうでもよかったです。嫌悪感を持つ価値すらないと思ってました」というコメントをされていたのに、どうして将也の恋愛的な意味での幸せな姿を見たいと望むのか? です。



(2015.3.11の記事)
すぺーす2017/03/14 13:44
ようするに私の考えでは西宮はファンタジー、植野はリアルなんです
他の記事でどう書いたかは忘れましたが将也への嫌悪感が濃くなっていった理由として大きいのは、リアル(植野)と向き合うのではなくファンタジー(西宮)に逃避していく度合いがどんどん強くなっていったからでしょうか
ようするに現実逃避ってやつですよね
以前言ったかと思いますが、美月さんが植野を嫌うのは植野にリアリティがあるからです
リアリティがあるからこそそれほどまでに人を本気にさせるのです
西宮は真逆なんですよ
西宮には男の理想が詰まっています
圧倒的に見るものに媚びた存在です
そんな西宮に心が傾くことは現実からの逃避としか見えませんね
だから私は石田が嫌いです



(2014.11.9の記事)
すぺーす2017/03/14 13:52
将也に嫌悪感を持つのはファンタジーである西宮や島田に心奪われる弱い人間だからです
ですから植野という現実と向き合って添い遂げる姿勢さえ見せれば彼への嫌悪感は消えるのです
結ばれる相手は「現実の女」として描かれたもう一人の川井でもいいですよ
ただべつに川井さんとはフラグ立ててないし、植野と結ばれる方が自然ですよね
それが「植野でなければいけない理由」に繋がります

やっぱり物語を読む以上は主人公を応援させてほしいし、その上で報われてほしいですよね



(2015.3.11の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/03/14 17:20  すぺーすさん

 こちらのコメントでは「なぜすぺーすさんが嫌いなはずの石田の幸せを望むのか」の理由が書かれていませんが、どうやらその答えは「2014-11-09」の記事のコメントのほうにあるようなので、私からの返事は内容の重複を避けるためにも、そちらでまとめて書かせていただきます。



(2014.11.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2017/03/14 17:59
「2015-03-11」の記事に対するコメント内容への返信も含めてここに書きます。

まず、私はすぺーすさんがおっしゃるような「西宮はファンタジーであり、男の理想」という捉え方があまりピンときません。妙なところで頑固だったり、身体的にも精神的にもかなりボロボロであることが予想されるはずの退院まもない将也を文化祭に誘う際のメールがけっこう一方的な印象が強かったりと、色々面倒臭そうな側面があるように思います。小学校時代が特に天使すぎる、といったような意見も連載当時から見かけましたが、障害のことや周りの状況のことを考えれば、あのような振る舞いになるのは仕方ないのではないかという気もしますし、そもそも私は西宮が「媚びている」のだとしても、媚びることそのものに対してはさほど嫌悪感はないのです。『聲の形』という作品に対しても、西宮硝子というキャラクターに対しても、以前ほどの思い入れがなくなった今でもそれは変わりません。

 ただ、西宮というキャラクターが好きになれない/嫌いだという人が存在するということは、別にしょうがないとも思います。そこの認識の差を無理に埋めようとも思いません。西宮が好きになれないのであれば、必然的に作品に対しても、あまり良い印象はもたなくなるでしょうし、主人公と結ばれることを望まなくなるのも当然です。ゆえに「西宮と結ばれる将来なんてダメだ」という意見に対しては「ダメとまでは思わないけど、まあそう思う人もいるかな」と感じる程度です。

 さて、問題の「結ばれる相手が植野でなければいけない理由」ですが、すぺーすさんがおっしゃるように西宮(あるいは結絃もでしょうか)をファンタジーな存在として除外した場合は、まあ確かに主要キャラクターの中で自然、というか可能性が高そうなのは植野でしょう。それは同意します。ただ、それはあくまで「主要キャラクターの中で」というもので、世界にはもっとたくさんの相手候補が存在しているでしょうし、そもそも将也が誰かと恋愛的な意味で結ばれなければ報われない、幸せになれないというのもおかしな話だと思うので、そんな私は「西宮と結ばれて幸せになるのはどうかと思う」という意見ならともかく「植野と結ばれなければいけない」と訴え続けなければいけない理由はやはり理解できません。



(2014.7.20の記事)
すぺーす2018/08/27 13:43
「すぐに謝る、笑ってごまかす」のが硝子。
「それってコミュニケーション放棄じゃないの?甘えるな」ってのが植野。

この理屈に植野の恋心なんて関係ありますか?
コミュニケーションという観点において逃げてる甘えてるのはやはり硝子の方じゃないんですか。

硝子は言いました。
「私は聾唖だからコミュニケーションにひと手間かかるんだ。」
「だから笑ってごまかすのが合理的だと思ってた。」

そしてこう続けます。
「直花さんが観覧車で、私の悩みのタネである問題に気付いてくれていたことがわかってとても嬉しかったです」
つまり自分でも、逃げていた甘えていたという自覚はあるのでしょう。
そしてそのあと究極のコミュニケーション放棄である自殺を選択するに至るのですが…。

>健常者側の差別的感情の言わば代弁者

まったく逆でしょ?
植野はまるで差別的感情を持っていないからこそ硝子に向かって「甘えるな」と言えるのだし、なんならリンチだってできます。
普通はね、言えませんよ。
だって硝子は普通と違うんですから。
でも硝子にそれを言えるのが植野なんです。



(2014.7.20の記事)
すぺーす2018/08/27 14:15
>「そうそう現実であそこまでやったやつが、いかにも物語的なあれこれを経たとしても反省するものだろうか」

まず将也のしたイジメとは、植野他クラスメートがしていた西宮に迷惑をかけられたことへの報復的イジメとは本質的に違います。
西宮をナメクジ扱いして面白がってたんですから、ただ彼がとてつもなく純粋でバカで残酷だったというだけのじつは「反省しやすい罪」なんです。
にも関わらず、石田には反省しやすい環境まで整備されました(自分がいじめられる立場に堕ちたりね)。
これで反省できなきゃ嘘です、反省できて当たり前です。

植野がしていたイジメってのは、情欲とか関係なく反省しづらい質のものなんですよ。
イジメはもちろん悪い事とした上で、
「でも西宮さんも悪かったじゃないか」
「迷惑をかけられた事への仕返しだ」
って言い訳ができてしまいますから。
ですから植野が反省しにくかったのもまた当たり前の話だったと思います。


>あまり将也の幸せって願いにくくなる気もするのですが。

私の将也への嫌悪感の原因は、彼が一番の罪人なのにも関わらず彼が一番恵まれているように見えるところにあります。
でもずっと恵まれない環境に置かれていた植野を彼が幸せにしてやるなら私は彼を許せます。
美月さんが植野への嫌悪感が薄らいだように、私も将也への嫌悪感を薄めたいのです。



(2014.11.9の記事)
すぺーす2018/08/27 15:22
「結ばれる相手が植野でなければいけない理由」を感情論以外の部分で考えました。
結論としては、それが物語テーマに沿った真のハッピーエンドだと思えるからです。
「植野と結ばれること」というのは聲の形の主人公石田にとってディスコミュニケーションの解消を象徴するものだと思えます。
この2人が結ばれてこそ、それでこそ、ですよ。

石田は物語の中盤において、長い期間、植野にのみ×をつけていましたよね。
私には石田にとって植野こそがディスコミュニケーションの象徴だと思えるのです、西宮でも島田でもなく。
「わけのわからない存在」
「自分を苦しめる存在」
なのに「彼女のことが気になって仕方がない」とでも言うほど、わざとらしく×をつけていました。

植野はと言えば、その×の下で誰よりも石田を気にしてた。
遊園地での死にたくなる発言で石田を心配そうに見つめているのは植野だけでした。
なんだろう、やっぱり応援したいんですよね、この不器用な2人を。
もうそれが全てです。

西宮じゃダメです、西宮はつばきちゃんです。
最後には主人公の前から消えるから儚く美しいんです。



(2014.11.9の記事)
uryuu1969(美月雨竜)2018/08/29 06:45 
硝子の振る舞いが擁護の余地がないほどにコミュニケーションの放棄なのだとしても、対する植野のコミュニケーションはあまりに暴力的すぎるように思います。かつての「西宮さんって日本語しゃべれるの?」という発言や硝子の聴力がどの程度のものなのかを無視した「聴こえてるんなら特別扱いする必要はない」(この辺りの正確な台詞は原作本を資料部屋にしまいこんで久しいので確認していません)と主張するシーンを見るに植野に差別感情はないという意見にも同意しかねますし、本当に差別的感情がないのだとしても、どんな理由があったにせよ補聴器を奪ったり髪の毛をつかんで一方的に殴る蹴るの暴行を加えるような人間を好きにはなれませんし、それも含めて植野のコミュニケーションというものはあまりに一方的で暴力的過ぎると思うので、これまでに何度も伝えておりますように仮に私が硝子に幻滅しきったところで(実際、かつてほどの思いなどありません)いわゆる「植野派」になることはないと思います。少なくとも、今現在、なっていません。そして『聲の形』というお話は原作にせよ映画版にせよ、それぞれの形ですでに完結しているので、将也への嫌悪感を仰るような方法で薄めたいのであれば、二次創作なり妄想なりで仰っているような展開を可能な限り完成度の高いものとして成立させれば良いと思います。それはどうぞ存分になさってください。一年以上、原作にも映画版にも触れていない人間のブログに何度コメントしたところで、あなたの欲求は解消されません。また、将也や硝子に限らず植野にとっても「誰かと恋愛的な意味で結ばれなければ報われない、幸せになれない」というのが、そもそもおかしな話だと思うので(恋愛以外にも理想的な関係性というのはいくらでもあると思います)、何度同じ主張をされたところで、私にはせいぜい「どうぞご自由に妄想してください」としか言えません。原作も映画も終わってしまっている以上、その先の展開はどんな形であれ受け手の妄想でしかありません。ただし、その妄想を原作も映画も一年以上目を通していない人間に一方的に投げかけられても対応のしようがありません。



(2014.11.9の記事)
すぺーす2018/09/25 02:54
植野のコミュニケーションが暴力的だとしても、コミュニケーションしてるだけマシなんじゃないんですかね?
おっしゃる通り西宮はコミュニケーション放棄してるわけですから。
そして将也も同じです。。
「俺が全部悪ィんだ、俺がキッカケでこうなった、だからケンカはやめろ」って橋の上でのセリフがありますが。
それに対して「そのリクツは嫌いッ、なんの解決にもなってないもん」と植野。
その通りじゃないですか、まったくもって植野の言う通りなのです。

べつに美月さんになんの対応も求めてないですよ。
ただ返信してくれるのはありがたいです、ありがとうございます。






 なんの対応も求めてはいないらしい。
 となると、こちらとしては落書きされてるようなものなので、いい加減、あちこちに同じような主張ばかりコメントされるのも面倒なので削除しました。