挨拶代わりの短いお話

冬の花火に腸が笑う』

(挨拶代わりの短いお話。前のブログに載せていたものを修正して再掲載。大元は、日本映画学校一年の時の「冬の花火」というテーマで文章を書くという課題)


 冬の花火は身体に悪いという祖母の忠告を今年二十歳になるわたしはとうに忘れてしまっていて、その結果がこれである。人間の忘却ぐせは、結局のところ自分をそれに見合った不幸に陥れてしまうのだなと、またすぐに忘却してしまう程度の気分で反省する。
 しかし、外に出なければいけないのだが、どうにも気分がのらない。なにしろ、腸が飛び出てしまっているのだ。へその下あたりが血も出ずにぱっくり開いて、そこから、まあ綺麗な色の健康そうな腸がぴょろっと飛び出している。風にさらされるのに慣れていないせいか、ひゅーっと空気が吹きつけるたびに、パイプの先のような腸がひくひくと痙攣する。痛みはないが、これでは外出など、とてもまともな人間の神経ではできるものではない。
 たとえば、なにかの拍子に、この腸の口が花粉など吸い込んでしまって「くしゅん」とやってしまったときには、人前で放屁してしまったような恥じらいを感じるだろうし、また今どきの女の子に「かわいい、かわいい」と、ぴょろぴょろしている腸をいじられるのも、同じようにいたたまれないものである。

 とりあえず、病院に寄るので遅れるという旨を待ち合わせの星子さんに伝え、最寄の、昔はきのこ採りを生業にしていた医者がひらいた診療所へむかった。ここは、ちょっと前に小指の先をそぎ落してしまったときに、わたしはとても絶望的な気分でやってきたのだが、その医者は、「とっぴんぱらりのぷう、という間に治してみせませう」と羊のような笑顔でわたしの手をとり、ほんとに「とっぴんぱらりのぷう」という間に治してしまったので、この人ならこのやっかいな腸の機嫌を損ねることなく、わたしの腹の中にもどしてくれるだろうと期待してきたのだ。
 待合室には、わたしのように、このいささか奇妙ではあるが腕のよい医者を信じて来たらしいひとたちが並んでいて、みなそれぞれに恥ずかしそうに身体のどこかを隠している。そこが、まあ、なにか飛び出ていたり、そぎ落していたり、しゃべったりするのだろう。わたしの隣のひざを隠した紳士は、ときおり「きゃんきゃん」と吠える膝をぺちんと叩いていた。このひとたちも、おそらくは、祖母なり祖父なりの忠告をうっかり忘れてしまったのだろう。それが冬の花火か、机の上にうつぼかずらかは知らないが、とにかく、そういった迷信じみたものも、年寄りが話すと現実に起こってしまうらしい。

 わたしの順番がやってきて、はていつからここで働きはじめたのだろう、旧友のコジマさんがわたしの手をとり、医者のところまでつれていってくれた。コジマさんは、わたしの顔を見るなり「これはちょっとむつかしいかもね」と笑って、医者にわたしを託し、自分は松ぼっくりで作ったコーラを飲んで奥歯が小枝のようになってしまった小学生の治療をはじめた。
「腸が飛び出てこまっているのです」
 わたしがすぐにありのままを伝えると、医者は「なるほど、これはむつかしい」と呟いて、ポケットから駄菓子の粉ジュースのようなものをとりだし、ストローでそれをわたしの腸に吹きかけた。すると、腸はまたひくひくと痙攣をおこすのだが、そのうちにだんだん弱まって、引っ込んでいってしまった。
「傷口も三分くらいで治るでせう。ただし、この薬を一週間はのんでいただきます」
 医者は、そう言ってわたしに、またこれも駄菓子屋でよく見たチューブ入りの色付き寒天のような薬をたくさんわたした。
「この薬はほかにも、頭痛や歯痛、胸やけ、鼻血、うつなんかにも効きますよ」
 まあ、それは便利ですね、とわたしが言うと、「ただし風邪をひいているときに使うと、頬に猫の顔が浮かびます」と医者は言った。やはり、風邪の特効薬はノーベル賞ものなのだなと納得する。

 蕎麦とヨーグルトが自慢の喫茶店で、星子さんに「遅れてすみません」というしるしに、診療所でもらった、スペースシャトルに生えたきのこと瓶詰にされた「ハシモトアヤコさんちのブルーベリー」を渡した。
 ヨーグルトにハシモトアヤコさんちのブルーベリーを入れて二人で食べながら、「ハシモトアヤコさんとはどんなお人だろうね」とわたしが問いかけると、星子さんは思考の5パーセントくらいで考えてみましたというようなお顔で「きっと髪の長い、イルカみたいな顔をした可愛らしいひとでしょう」と言った。
 その髪の長い、イルカみたいな顔をした可愛らしいハシモトアヤコさんのつくったブルーベリーがあまりにおいしいので、わたしたちはそれだけで満足して別れてしまい、わたしは星子さんに「冬の花火には気を付けるのよ」と忠告するのを忘れてしまった。