「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、人は沈黙せねばならない」(ウィトゲンシュタイン)
「俺の気持ちが分かるか、なんて、そんなしみったれた台詞、年上の人間からは聞きたくないもんですよ」(西尾維新『サイコロジカル(上)兎吊木垓輔の戯言殺し』より)
「宇宙において我々は孤独ではないが、この地球において、それぞれの道では、我々はみな、孤独なのだ」(『X‐FILES 第3シーズン「執筆」』より)
「気持ちは分かるよ」という言葉をかけられて、心が安定したことはない。
分かるはずないからだ。
自分と相手、どちらがより辛い目に遭ったかは関係ない。いずれにせよ、気持ちが「分かる」ことはないと思う。
まぐれで当たったり、きっとこんな感じかもしれないと想像することはできるだろうけど、分かるはずはない。
勝手に理解したつもりになって、私の悩みを無かったことにしないでほしいと、あの言葉をかけられるたびに思う(他人がこの言葉をかけられている時にも思う。あんたは、彼/彼女の問題を、そうやって自分の理解できるものだと勝手に判断して、安心しているだけじゃないかと思ってしまう)。
もちろん、この言葉をかけられて、救われる人がいるということも知っている。たぶん、同じ悩みを持つ人がいることで安心するのだろう。あるいは、嘘でも「わかるよ」と言ってくれる人がいることが嬉しいのかもしれない。だけど、それは問題の解決にはならない。
ひねくれた言い方をすれば、この言葉をかけられることで救われるということは、そもそもその程度の問題だったのではないかと思う。
あるいは、「その程度の問題だった」と思える強さを持っていたか、だ。
「気持ちは分かる」
この言葉で安心してるのは、言った側だと思う。
分かることにしておけば、得体のしれない心配をし続けることはない。
あるいは、自分も同じ目に遭いながら、なんとかなったのだから、相手だって大丈夫だろうとも思える。
実際は、まるで異なる気持ちでいるかもしれない。たとえ、同じ気持ちだったとしても、状況や資質が異なるのだから、大丈夫ではないかもしれない。具体的な救援が必要かもしれない(空腹の子供に対し、貧乏で食えなかった経験のある大人が「気持ちは分かるよ」と言ったところで子供は救われない。お前の共感とかいらないから何か食わしてれ)。
故に、私は、この言葉をかけられると、救われるどころか気分が悪化する。下手をすれば、言った相手に対し憎悪を抱く(自分でなくても、他人がこの言葉をかけられているのを見ただけでも、発言者に対して「けっ」という気分になる)。
だから、私は意識的にこの言葉を他人に言わないようにしている。くだけた、どうでもいいような話なら構わないが(「AKBで一番可愛いのは指原だと思うんだよねー。でも、あんまり公言しにくくててさー」「その気持ち分かるわー」……程度なら何の問題もない。ついでに言えば、別にさしこ推しを公言することが恥ずかしいとは思わないので、私にはこいつの気持ちは分からない)。
だから、心配するべき相手が、心配するべき状況下にある時、私はひたすら心配し続けることしかできない。
ストレスの大きさ的には、ひょっとしたら相手以上に身体に負担がかかっているのではないかというくらい心配し続けることになる。
黙ってぎゅっと抱きしめてもらえれば、少しは楽になるという話はよく聞くけど、相手によるだろうし、少なくとも私に抱きしめられて安心する人など思い当たらない(抱きしめたら、警察に突き出されそうな人ならいっぱい知ってる)ので、私は今日も髪をかきむしる。
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