正義(であろうとする邪な心)の“見方”

 「やらずに後悔するよりやって後悔しろ」とはよく言うが、しかし自分が助けようとしたことでかえって相手を死なせてしまう場合でも「やって後悔する」ほうが良いと言えるのだろうか。もちろん、結果が先に分かるわけもないのだから、ドラえもんの道具でもないかぎり、その場で判断などできないし、そんな道具があるのなら相手の命を救える道具だってありそうである。しかし思考実験的な話として、「助けようとしたら、かえって死なせてしまう」と「助けずにいると結局相手は死んでしまう」の二つしか未来がない場合、それでも「やって後悔」を選ぶべきなのだろうか。その場合、「助けようとする気持ちが大事」なんて言葉だけで片付けて良いものかどうか。それこそただの自己満足ではないのか。

 もっとも、では手を出せばかえって死なせてしまうからと見殺しにするのもまた、直接手を下したくないだけではないのかと言われてしまえば否定はできない(というか、それ以外ない)。そうなると第三の選択肢として「楽に死なせる」という案が浮かぶが、それはれっきとした殺人であり、たとえ未来がわかる技術があったにせよ、無実というわけにはいかないだろう。結局、余裕のあるうちに、万が一の場合に備えて可能性の高そうな救命方法を色々と学んでおくことくらいしかない。せめて他人から見て「かえって死なせた」と捉えられてしまわないように。

 それでも、目の前の命を救うための緊急救命的な事態であれば、よほどの無知な行為でないかぎり、「てめえのせいでかえって死なせてるじゃねえか」という声が正当な批判として捉えられる可能性は低いだろう。周りに救命知識の高い者もいない状態で自分がどうにかしなければならない場合、焦って致命的なミスを犯したとしても、悲劇ではあるが救おうとした側への同情も得られそうだ。だが、これが外野と言っても差し支えない立場からの助言や情報提供だとすればどうだろう。震災等で見受けられたデマの問題である。

 デマによって苦しんだ人は数知れない。なんとか役立つ情報をという切迫感に駆られるのは、むしろデマを広めるのに役立ってしまう恐れも多い。真偽はともかくとしても、政府や公的機関からの情報は提供される(ひとつも提供されなくなったのなら、それは国が滅んだということだろう。だとすれば、もうどうしようもない)。不信感があるからといって、あやふやな話を流布させるのは混乱を招くだけだ。ならば非常時に沈黙を守るのは、別に逃げでも無責任でもないと思う。それに、人気商売の著名人であれば、ファンにとっては「推し」が存在してくれているだけで支えになり得るわけであり、ゆえに大事なのは自身が無事であることだ。慰めや励ましの言葉さえ時には逆効果になるのだから、適度な「自分さえ良ければいい」は、案外他人のためにもなるのではないかと思う。

 少なくとも、他人のためを思ってやったことで恨まれるのと、自分のためだけにやったことで感謝されるのとなら、大抵は後者を選ぶだろう。

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