そして血が滲むほど身体を洗う

 仮に必ず願いの叶う方法があったとして、その方法によって好きな人の幸せを願った途端、相手への想いが冷めるのではないかと考えることがある。自分が相手を好きでいることが相手にとっての不幸に繋がるのであれば、「願いが叶う」は「自分の想いが冷める」のと同義である。もちろん、結果的には両者にとって幸せだとも考えられるが、必ず願いの叶う方法で幸せを願いたくなるほどの相手に対する想いが冷めたら、それはそれで願った側の生きる糧が失われるのではないかとも思う。想いは冷めているから、ショックを受けるということもないのだろうが、しかし、廃人になる危険性はあるのではないか。

 自己肯定感の低い者は、こういった八方塞りな思考に陥りやすい。私自身、その傾向がある。ゆえに、以前にも述べた通り、自殺を止めるための台詞として某所で挙げられていた「橋本環奈がお前と付き合いたいって言ってたぞ(もちろん、橋本環奈の部分は、止めたい相手の好みの人物に変換可能)」は、それで自殺を思い留まれるだけの自己肯定感があるのならば、そもそも自殺を考える可能性自体低い気がする。そもそも、嘘だし。

 「会いに行けるアイドル」というのも、私のようなタイプの人間からすると、あまり意味を成さなくなる。もちろん、AKBグループをはじめとするアイドルたちが、このコンセプトによって人気を得て、(良い面も悪い面も含めて)スリリングな魅力を構築したことは確かだろうが、アイドルに限らず、憧れの相手に会っても自分の存在自体が相手を不快にさせるのではと不安になるような者にとっては、好意を持ってもらえたらなんて夢のまた夢で、言い方は悪くなるが「金蔓の客」としてすら扱ってもらえるかどうか心配になるのである。なんならあらかじめ催眠術かなにかで相手にとって好ましい人物に映るよう仕掛けておいてほしい。いや、それだと催眠が解けた後、相手が地獄を見る可能性が出てくる ゆえに「不快ではない印象に残りにくいただのファン」くらいに見えるような催眠術をかけておいてもらいたい。それでも「術が途中で解けたらどうしよう」などと考え始めてしまうのだろうから、幸せは尚更歩いてこない。嫌悪感を抱かれて、へこんで帰ってくるためだけに、金と時間を浪費したとなれば、元々低い自己肯定感の人間がそのまま生きていけるとは思えない。

 結局、平気で会いに行けるだけの自己肯定感を持った者たちに対し、歪んだ羨望と八つ当たりでしかない憎悪を抱きつつ、人知れずお金を落とすことしかできないのである。

ネガティブハート

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