騒乱節

 学校教育における組体操の危険性の問題。私は、あんなものは、日体大あたりでやりたい奴だけが祭りか何かで披露していればいいと思っているので、義務教育や一般高校では廃止すべきだと考えている。

 私自身は、学校で組体操をやらされたことはない。ただし、小学校時代、YOSAKOIソーランの最後の決めポーズとして「組体操的なもの」はやらされた。もし、めでたく教育の現場での組体操が禁止されたとしても、道産子は、そこのところ注意が必要(YOSAKOIに限らず、ダンスの一環として組体操的な危険なモノを強制/半強制される危険性もあるだろうね)。
 
 私の小学校時代のPTAおよび近隣の皆さんは、いわゆる体育会系思考とは言い難いが、一種のフロンティアスピリットなのか、悪運の強い命知らずが多く、子供に強制はしないが、自分が勝手に危険なことをやって案の定ケガする(ただし本人が笑える範囲のケガ)、みたいなことを繰り返し、それを見て子供たちは危機管理を学んでいたフシがある。ゆえに、一部の教師によって先述の通り、YOSAKOIに紛れ込まされた組体操的演技を強制されても事故がなかったのは、自然に擦り込まれた危機回避能力のおかげだったのかもしれず、それこそ悪運が強かっただけで、他の場の参考になるようなものではない。

 自分たちが育った環境によって自然と危機回避能力が高まっていることに気付いたのは、中学に入り、他の学校で育った同世代たちを見てからである。それまでは、自分たちの危機回避能力が、他の同世代よりも高めであること(そして、それがある種、特殊な環境で備わったものであること)を理解していなかった。狭い世界での慣習でものを考えてはいけないというのも、あの時、ある程度理解したのかもしれない。