文明がなければ生きていけないのに文明を捨てようとする人がいるから私は文明以前を恋しく思う

 自分の部屋でも街中でも、あるいはどこかの山や森の中でもいいのだけれど、ふと立ち止まってぼんやり考えることは、今自分がいる場所で過去に何があったかということで、それも私が考えがちなのは、人類誕生以前のこと、つまり自分が立っているこの場所で、太古の生物がどんな生活を送っていたのだろうというようなことだ。人類のことを考える場合も、大抵はクロマニヨン人以前の存在である。

 文明を持ってからの人類の歴史に対して、ひょっとしたら他の人たちと比べて興味が薄いのではないかと思っている。人のいない世界を見てみたい。かつて、「恐竜しか登場しない映画」の情報が私の耳に届いたとき、とても期待していたのだが、どうやら登場する恐竜たちが人間の言葉を話して、いわゆるハリウッド的なストーリーの中で活躍する映画なのだと知り、ひどく失望した。いや、『リトルフットの大冒険』のような作品なのだと最初から言っておいてくれれば、がっかりすることもなかったのだが、「リアルな恐竜だけの世界」と言われてしまうと、だったらなぜ人の言葉なんか喋らせるのだと思ってしまうのだ。かつてリュック・ベッソンが、余計なナレーションすら排除し、海洋生物の姿をひたすら映した『アトランティス』という映画を監督しているが、太古の生物でそんな作品を製作してほしい。

 このような私の嗜好傾向は幼い頃からのものだが、どうも最近特に強まっている気もする。病弱な私は現代文明が機能しなければ、あっという間に死んでしまうタイプのため、文明を軽視するような思考の人とは距離を置きたいのだが、どうもやたらとそんな人たちの姿を目にしてしまうため、このままでは私の生きる世界がなくなってしまうという不安が大きくなり、結果、そんな世界なら人なんか全員いらねえよ、というやけくそじみた気分になってしまったのかもしれない。