肝は試すよりしっかり冷やしてほしいという話

 令和の時代になってなお、夏といえば怪談という風潮は失われることはないようで、別にエンターテインメントとしての怪談/ホラーを否定するつもりはないし、なんならそこそこ好物でもあるので構わないのだけれども、しかし、怪談に納涼の効果があるのかどうかには甚だ疑問を感じている。怪談なんざ怖くない、なんて虚勢を張る気はないし、思い出すのが嫌になるような話を聞いてしまったこともあるけれど、暑さに弱すぎて怪談の類に対する恐怖心が霞んでしまうのか知らないが、どれだけ怖い話を見聞きしても、涼しさを感じた経験が一度もない。だいたい、ただでさえ暑さで身体が弱っているときに、トラウマ級の怪談なんぞを聞かされたら、もともと寝苦しくなっている夜がさらに眠れなくなり、身体も心も痛めつけられるばかりになってしまうだろう。そんな状態に陥ることのほうがよほど恐怖であるが、それを想像したところで恐怖のあまり暑さを忘れるなんてことにもならない。

 実際に命を狙われでもすれば、さすがに暑さを気にする余裕もなくなるかもしれないが、そこまでして暑さから逃れたいとも思わないし、そんな危機的状況でさえ、なんだかんだ暑さによる苦しみも忘れることはできず、ただただ恐怖と暑さが重なって苦しみが倍増するだけのようにも思える。少なくとも、怪談によって涼しさを感じられる人がいるとするならば、おそらく私よりも根本的に暑さに強い人たちだろう。

 そういえば小学生の頃、夏の学校行事にキャンプがあり、そこでは必ず肝試しが行われていたのだが、脅かす側に回った当時の教師やPTAの皆さんには張りきり屋さんが多く、そのやる気がきちんと恐怖の演出として効果的な方向に発揮されれば肝試しとしては大成功だったのだろうが、基本的には児童がやる気に引くばかりで、怖いというよりは、ひたすら面倒くさい時間となっていた。当然、納涼の効果などあるはずもなかった。