4割たちのヴェンデッタ

 あれはそうだ、中学や高校時代、授業中には騒いだり立ち歩いたり、注意されてもヘラヘラするばかり、服装や髪形といったものならば好みは別としても校則で細かに定める必要はないと思うけれども、喫煙疑惑や飲酒疑惑、暴力沙汰の話まで聞こえてくるような連中が「学祭」となると急に学級全体をまとめようと躍起になり、普段の自分たちの授業態度など棚に上げ「やる気が感じられない」だの「合唱で声が出ていない」だのと常日頃敵視しているはずの生徒指導教師のようなことを言い出し、当の教員たちも祭りの期間中は連中を頼もしく思っている節すらあり、本格的な大会どころか中・高体連/文連規模ですらかすりもしないレベルの出し物や競技の優劣に一喜一憂し、狭い学校の、せいぜい全7~8クラスの内での1位2位で涙まで流し、平時も学祭期間中も連中の好き勝手に振り回され、あげくは罵られ、できることならこの空間を爆弾で吹っ飛ばしてやりたいとさえ思っている者たちを尻目に、絆だの団結だの青春だの、貧血で倒れる者が続出するほどつまらない校長の挨拶くらいでした聞かない台詞を喚き散らし、せめて早く家に帰してほしいと願う者たちの願いとは裏腹に、飽きることなくダラダラと理想の世界を勝ち取ったかのように騒ぎ続ける。――そんな光景を思い出すから嫌いなのだ。「興味がない」のではなく、ひたすら「憎い」のだ。

 今はまだ、辛うじて、「全員があいつらのような奴じゃない」と考えるだけの理性は保てている。先のことまでは自信が持てないけれど。