『空にかたつむりを見たかい?』 第12回

「絵?」

「うん。っていうか、アユムの家にもあるよ」

「えっ?」

「二回も同じ音出すと、馬鹿みたいに見えるよ」

 マリサからその話を聞いたのは、中学一年の夏休み直前、ちょうど今から一年前のことだった。

 マリサの言う「絵」とは何か。

 その「絵」は、知悦部地区や、その他周辺地域のあちこちにこっそり描かれていた。

 民家や廃屋などの壁、看板、あるいは道路に描かれた「絵」は、ほとんどが注意深い人間でなければ気づかない場所が選択されていて、サイズも小さく、まさに「こっそり」という感じだ。

 実際、僕は自分の家の壁に、その「絵」が描かれていることをマリサに指摘されるまで気付かなかった。僕の住む家は、僕が生まれてすぐに引っ越してきたもので、母さんによると、その数年前から空き家だったらしい。おそらく、空き家のころから、あの絵は描かれたままになっていたのだと思う。

 絵の細かい内容は様々だが、必ず三つのキャラクターのうちのいずれかが描かれていた。

 まず、僕の家の壁にも描かれているのが、げっ歯類のような歯を見せて笑うかたつむりのキャラクターだ。このキャラクターの絵の下には、必ず小さく「ミスター・ノーテイスト」というサインがあり、マリサは当初、描き手の名前だと思ったらしい。しかし、他の絵をいくつか発見するうちに、どうやら描き手の名前ではなく、このかたつむりの名前であるらしいことが分かってきた。

 僕の家の壁に描かれたミスター・ノーテイストは、片方の触覚で歯ブラシを持って歯を磨いているが、マリサが中磯瀬の廃墟の壁で見つけたミスター・ノーテイストは、両方の触覚でハンカチらしきものを持ち、自分の殻を拭いていた。

 マリサが確認したミスター・ノーテイストの絵は、今のところ十二あるが、描かれている内容は四通りだけだった。歯磨きミスター・ノーテイストに殻拭きミスター・ノーテイスト、そして携帯電話を持つミスター・ノーテイストとパソコン画面の中で笑うミスター・ノーテイストだ。どうやら、何か元になる型紙があり、その上からカラースプレーを吹き付けて描いているようで、それは、他の二つのキャラクターでも同様だった。

 二つ目のキャラクターは、猫耳をつけた擬人化されたネズミの少女で、名前は「ミス・スネーカー」らしい。知悦部地区内では発見できていないけれど、中学校の体育道具倉庫の壁に消えかかっているものを見つけた。ミスター・ノーテイストに比べて、発見できた数は少なく、中学校のものを合せても五つしかない。どれも同じポーズで踊っているようだ。

 そして、最後の一つが、ツチノコのような、あるいはコブラの首から上部分だけを切り取ったような奇妙なキャラクターで、「ドライ・フライ」という名前が書かれている。ドライ・フライは、特に何をしているわけでもなく、同じポーズのものが九か所で見つかっている。

「一応、調べたんだけど、どれも昔やってたアニメに関係してる言葉なんだよね」

 マリサに言われて僕も調べてみると、たしかにどのキャラクターの名前も、同じアニメ作品に関係していた。そしてマリサは、「たぶん、誰かがバンクシーの真似をしているんだと思う」と言った。