『空にかたつむりを見たかい?』 第43回

「ねえ、ライアル・ワトソン君」

「その呼び方、やめてもらえませんか。あゆむんでいいです」

「恥ずかしがってたくせに」

 食事を終え、他のみんながキャンピングカーの中で寝静まった後、僕は塔子さんと二人で外にイスを並べ、知悦部の夜空を眺めていた。他に起きているのは、キャンピングカーの屋根に登っているナスレディンだけだ。

 それにしても、あゆむんという呼び方も恥ずかしいが、ライアル・ワトソン君はもっと恥ずかしい。というか、嫌だ。そういえば、ライアル・ワトソンに関する番組の録画ビデオも土佐先生のコレクションの中にあった。あの番組の中でもトーキング・ヘッズの曲が流れていた。

「じゃあ、あゆむん。かっこうだんごって知ってる?」

「かっこうだんご……なんか聞いたことあるような気はします」

「別名、空飛ぶだんご」

「ああ」

 知っている。大好きなテレビ番組で紹介されたことがある。たしか岩手県の観光名所の名物で、だんご屋から谷を越えるような形でロープが張ってあり、そのロープをつたって対岸の客にだんごが届く。細かい会計のやり方などは忘れてしまったが、だいたいそんなスタイルだったはずだ。

「だからね。だんごだって飛ぶんだから、かたつむりが飛んでもいいんじゃないかな」

 土佐先生いわく、明け方のかたつむりが見ものなのだという。かたつむりのためにキャンプまでしたのは、そのためだ。見ものというのは、飛ぶと考えていいのだろうか? 慣れないキャンプ、そして夜空の下で塔子さんと会話しているということで多少現実感は失っているけれど、それにしたって、狙って空飛ぶかたつむりが見れるとも思えない。しかし、塔子さんは、妙な理屈で「かたつむりが飛んでもいい」と言う。

「あたしはね、飛ばないはずのものが飛ぶ映画が好きなの」

「飛ばないはずのもの……」

「魚とか車とか、家の天上だけが飛んでいく映画もあったね」

 塔子さんが例に挙げた映画は、どれも土佐先生のコレクションから借りて観たことがある。魚が飛ぶのは『アリゾナ・ドリーム』、車は『レポマン』、家の天上だけがというのは、たぶん『ルナ・パパ』という映画のことだろう。

「そういえば、あたしの父親があたしにつけたかった名前の話ってしたっけ?」

「いいえ、聞いてないです」

「月子」

「月子?」

「月の子供。まあ、母親が反対して今の名前になったんだけどね。危ないところだったよね」

 塔子さんにかぐや姫は似合わないだろう。でも、『ルナ・パパ』がお気に入りの映画だというのは、なんとなく塔子さんの雰囲気と合っている。あれもまた、不思議な映画だった。土佐先生のコレクションには、不思議な映画が多い。

 

もうお別れだ

ぼくはママと行く

悪魔と戦う叔父さんを残して――空へ飛び去る

心の狭い怖い顔の人たち

人間の悪魔たち

さよなら

そろそろ時間だ

 

 『ルナ・パパ』のラスト近くで語られる台詞だ。なんだか、塔子さんがどこかへ行ってしまいそうな気分になる。いや、実際に知悦部小学校が閉校すれば、塔子さんも土佐先生も、ここからいなくなってしまうのだろうけれど。もちろん、今の時代、簡単に連絡はとれる。だから、そんなに寂しいことではない。ないはずだけれど。

「そういえば、あたし明日が誕生日」

「そうなんですか」

「お祝いの言葉は?」

「誕生、おめでとう」

 これも『ルナ・パパ』での言葉。ラスト近くではなく、本当に映画の最後に画面に映る言葉。

「どうも、ありがと」

 そう言って、塔子さんは笑った。今まででいちばんきれいな笑顔だった。

「そうだ、あゆむん。特別サービス」

「なんですか?」

「あたしたちがやってたバンドの名前。たくちゃんからは教えてもらってないでしょ?」

「はい」

 谷川さんからは、「おしえてあげないよ、ジャン」とはぐらかされてしまった。

「ドライ・シックス」

「え?」

「乾いた六人組って意味」

 ドライ・シックス。乾いた六人組。六人というのは、当然、土佐先生と塔子さんと谷川さん、そして他の三人のメンバーをことだろう。でも、その名前は……。

「勘付いた?」

 マリサが追っている絵に描かれたキャラクターが、あるアニメに関係する名前が付けられているということは、前にも言った通りだ。ドライ・シックス。そのアニメ『ジーンダイバー』には、まさにその通りの名前のキャラクターが登場する。つまり、ドライ・フライの元になったキャラクターだ。

「勘のいいあゆむんには、ゲルニカ事件の主犯も教えてあげるね」

 塔子さんが少し身体を寄せてくる。念のため、耳打ちしようとしているのだろう。

「マリりんには内緒だよ。その方が、面白いから」

「マリサからも訊かれたんですよね?」

「訊かれはしたけど、適当にはぐらかしちゃった」

 塔子さんは、悪びれる様子もなく言った。

「あたしは正直者だから、あゆむんには、ちゃんとあたしは嘘つきだってこと言っておかないとね」

 正直者だから自分は嘘つきだと正直に言う。実に混乱する言い回しだ。そして、これまで塔子さんが言ってきたことの信憑性も崩壊していきそうな言葉である。でも、その先を聞かずにはいられなかった。

「あたしたちの同級生だってことは勘付いてるでしょ?」

「はい」

「たくちゃんの話に出てきた、音楽とか映画とかに詳しい奴だってことも?」

「なんとなく」

「じゃあ、もっとサービスしてあげる。その人はね、昔、あゆむんの家に住んでた人だよ」