恥じらいなくして走れない

 田村淳さんをはじめ、聖火ランナーを辞退する方の話題をいくつか見聞きした。それぞれの判断は尊重するべきだとも思うし、致し方ない状況だとも思う。森氏が辞任したところで一件落着というわけでもない(氏の発言による騒動がなかったとしてもコロナ禍における五輪の開催が困難なのは変わらないし、コロナ禍以前から暑さ対策等でごちゃごちゃしていたのである)。ただ、個人の思いや責任だけで決断できる方々はともかく、辞退するにせよしないにせよランナー本人の意志だけでは決断し難い立場の方々(事務所やスポンサーとの兼ね合い等、いろいろ事情があるだろうと想像することはできる)が不憫でならない。どうしたって、ああだこうだと言ってくる者が出てくるのは想像に難くない。個人の強い意志による決断の結果ならばまだ諦めもつくかもしれないが、そうでないのであれば私なら発狂しかねない。内心、さっさと大会そのものの中止が決まってくれれば良いのにと思っている方もいることだろう。

 もちろん、中止は中止で色々と面倒を押し付けられる人が出てくるのもまた想像に難くない。私は基本的にスポーツ界に対して嫌悪に近い感情を抱いているので、躍起になって東京五輪招致に努めた者たちが面倒に巻き込まれることに関しては、ほとんど同情などしないのだけれども、そもそも開催を望んでいなかったのに立場や仕事の関係で関わらざるを得なくなった方々のことを思うと、損害賠償として招致推進派の全財産をそういった方々に分け与えたとしてもまだ足りないなどと考えてしまう。実際、自分がその立場であれば、それだけでは到底許しなどしないだろう(もっとも、これは私の器が小さいだけという説もある)。

 まあ、生まれてこのかた博愛主義者であったことなどないので、とりあえず幸せでいてほしい人が幸せであってくれたら嬉しく、せめて不幸になってほしくない人が幸せとは言えずとも不幸に見舞われなければ良いなと願っている。