『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(48)

 事実、キックの管理下から外れた後の廃棄物置場は、後任の元野球指導者の無知によってチャタテ虫が蔓延るほどに荒廃し、10年と経たぬうちに会話する樹木以外の植物は枯死した。遠い未来のキックの子供が、会話する樹木の前にしゃがみ、祖先の過ちの贖罪のために貴重な水を注ぎ続けるのを私は見た。キックに子供ができる頃、私は私の理想とする姿の親友を得て、彼が人形屋のドールを妹として静かに暮らす姿を眺めていられることを望むが、それが老齢のなせる靄がかった風景だったのかは今も当時もわからない。幸い、暮らすための土地だけは確保されいるため、食べ終えた林檎は全て庭に埋めていた。

 年に二度の不必要な球技大会は全校応援の3か月後に催され、タイナカの協力を得て堂々と正門から抜け出した私は、町内唯一の映画館となった太陽門で、特に観たいわけでもなかった王家衛の『2046』を眺めていた。ほぼ貸切状態の館内は、仮に観る価値のない出来だったとしても充分な価値があった。私が太陽門で孤立を謳歌している時、校舎2階の男子便所では、試合のいざこざから学生同士の暴行騒動が起きていたらしく、名前と顔の一致しないクラスメイトがこの件で退学処分となったが、授業態度に問題がありながら球技大会には参加するような人間がどうなろうと知ったことではなかった。もちろん、教師による授業ではなく教科書そのものに集中するようになってからは、一時は深刻なまでに低下した学力も回復し、教師も学生も教科書の黙読を邪魔する存在でしかなくなっていたため、障害物の除去は喜ばしいことだった。礼儀として黒鳥の絵を注文し、彼の机に忍ばせたのはそのためである。数日後に黒鳥は彼の机の表面に浮き出て、清掃時間の雑巾がけでは拭い取れなくなり、そこでようやく私は彼の名前がタニヤミズだと認識したが、すでに顔を確認することはできなくなっていた。結局、進級までに男女合わせて5名の退学者を出し、担任は宝くじで当選した札束を校門前で燃やしてみせた。