『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(58)

 K氏と5年ぶりに電話したのは、そういった毒蟲まみれの記憶とは関係なく、ストロマトライトに魅せられた少年を追うテレビドキュメンタリーでK氏の名前をスタッフクレジットの中に発見したからで、共に嫌悪していた社会派気取りの出鱈目ドキュメンタリーに参加する同期生の近況を探る目的もあった。私は『WAX 蜜蜂テレビの発見』をダビングしたVHSを彼女に貸したこともあり、多少の責任を感じていた。しかし、K氏が彼女の動向を注視しているわけもなく、そもそも注視する必要がある程の成果はないようで幸いだった。彼女の活動もあらかじめ決められた顧客たちの為のものでしかないのだ。彼女と彼女の師事するドキュメンタリー作家が主張するほど、蜜蜂も女郎蜘蛛も不穏な動きなど見せておらず、ましてや尻尾の再生しないカナヘビが、かつて私の住んでいたアパートの跡地に現れてなどいない。上階の雑な住人ももう居ないので、ゴキブリたちすらとっくに住処を移していることだろう。

 母方の祖父と仲の良かったオアフの爺さんの家で、やけにカマドウマが目につくようになったのは事実だが、それは隣の通称・マサヤ35代目が薄めずに撒いた農薬が原因だった。オアフの爺さんは、腹いせに私が貸した『腐っていくテレパシーズ』を大音量で響かせながら農作業をおこなうようになった。私は指に力を込めて自分の顔面をゆっくり触れまわり、頭蓋骨の形を透視する趣味が、すっかり趣味も癖も通り越し、ある種の強迫観念のようになっており、自分の頭骨が野晒しになっている情景を幻視することすらあった。残念ながら適切に火葬される姿を想像することが難しく、処方薬が増える恐れもある。マサヤ35代目の弟は私と同期生で、7歳の夏に家族の誰にも告げず近所の池まで魚を見に行き失踪を疑われ、当時の父兄や教員が総出になって探し回ったこともあったが、奴のように人生の終わりも忘れられるほどの性分であれば、これほど悩み苦しむこともなかったのだろうが、そうなりたいとも思わない。