『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(59)

 奴が無事に家へ戻った数日後、私が見た池には魚の姿は見当たらず、成人男性の親指ほどの大きさの真っ白いなめくじが水面を蠢いているだけだった。祖母の手入れが行き届きにくかった遠い庭の大きな石を持ち上げると、あの真っ白いなめくじはよく見つけたが、池のものほど大きなものはいなかった。カマドウマと同じく、薄めずに撒いた農薬が影響していたのかもしれないが、池で泳いだどこかの子供の腕になめくじが食いつくようなこともなく、池に染み渡った毒となめくじの持つ毒の複合作用でナンシーが死んでしまうような事態を招く心配はないようだった。テラピアが消えても困ることはないのだ。

 小学3年の遠足で級友たちが釣ったテラピアは、教室の水槽でしばらく飼育されていたが、餌として与えられた給食のコッペパンがふやけて浮くようになると、そのふやけたパン屑と見分けがつかないような死骸となって漂いはじめ、全滅に気づくのも遅れ、私たちは長いこと死骸と共に授業を受けていた。既に幼い頃は「カムイ」だったデパートも「エリック」と名を変え、子供たちの愛した「紫のきしゃぽっぽ」も撤去されており、死骸の腐臭を消すための洗剤も入手するのが困難であったため、ただでさえ食の細い私の体重は適性値に届くはずもない。それでいて、体育の授業が削られることもなかった。人間を含めた動物の死骸によって大きく気分が害されることは少なかったが、魚類の腐敗には耐性がつかないままだった。水気が多すぎるのが問題な気がして、水死骸の類は全般的に受け付け難い。怖さと悍ましさは別物というのは、お嬢も同意することで、受付け難い思考によっても食欲は削がれた。