夢の終わりの猫いずこ

 小学校の校庭の端には、落葉などのゴミを燃やすための土管があった。

 実際には、そんなものは存在していなかったのだが、夢の中ではあったことになっていた。これは、あくまでも先日見た夢の話である。

 内径はおそらく600mm。子供なら3、4人が入れるほどの幅がある。ゴミを入れて燃やせるよう、縦に置かれていて、高さも内径と同じくらいの約60cm程である。『ドラえもん』の空き地に置かれているような灰色のコンクリート製のため、正しくは「土管」ではなく「ヒューム管」と呼ばれるものだろうが、関係業者以外の人間が、それも本来の目的外で使用されているものや放置されているようなものを指す場合、現実でも創作でも夢の中でも概ね「土管」と呼ばれ易い。ひょっとすれば『ドラえもん』より『スーパーマリオ』の影響かもしれない。

 しかし、いずれにせよ、ゴミを燃やすために用いられていることを知っている子供たちは、中に入って遊ぶようなことは基本的になかった。灰とも土とも言いきれぬ堆積物に好んで飛び込むような子供は、1986年生まれの私の世代の時点で既に少数派だった。のび太たちほど大らかでもなければ、土管の中に「裏の世界」があるなどと本気で考えるわけでもない。だが、自分以外の何かを放り込むことなら、程度の差はあれ、それほど珍しいわけでもないと考えられた。

 ゆえに、土管の中に子猫を見つけた時は、悪い子供が特有の残酷さを発露させた結果だと思った。この高さの土管に子猫が飛びこめるとは考えにくいし、土管よりも昇り易い高台のようなものが近くにあるわけでもない。

 子猫は弱っているのか、灰や土で身体を汚しながらも、辛うじて土管の内壁を引っ掻くように前脚を動かしている。哀れに思ったが、夢の中の私は、猫がなんらかの病気などを持っているのではないかと不安に感じ、すぐに素手で救うことはしなかった。確か、近くの倉庫に大きめのシャベルがあったはずなので、それで子猫を掬い上げるようにして出してやろうと考え、一旦その場を離れることにした。

 だが、シャベルを手に戻ってくると、土管の中では火が燃え盛りはじめていた。誰が火を付けたのかは分からないが、土管の外に猫の姿は見えない。ゆっくり近づいて中を覗いてみると、猫は外壁にもたれるようにして動かなくなっていた。火の勢いは、まだ猫の身体に直接触れるほどではないようにも見えたが、猫の背中から生気は全く感じられなかった。

 生焼けの状態で埋葬するより、いっそ火葬と呼べるところまで見守ってやるべきではなかろうか。そんな考えも浮かんでしまい、どう転んでも良い思い出にはならないと覚悟したところで目が覚めた。