『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(66)

 痛快と言って良い景色は、お嬢のスマートフォンから動画で送られてきたが、すぐに喜びを共有できる者が近くに居なかったのが残念だ。共に胸のすく思いになれたであろう級友たちの大半はすでに疎遠であり、それは少々悔しいことに担任の責任ではなく、私や級友たちの側の問題であることは明らかだった。私は早くから別れを見越して取り返しのつかない嘘を散りばめ過ぎていたし、麦畑のお祭り男は中学で流行りのいきりに身を落とし、36号の弟は滅多に姿すら現さなくなっていた。他の面々も似たようなもので、しかし、いずれも何らかの方法でスクラップ置場の湯かいな景色を知るであろうとも考えられた。

 私が知ったのは、ナイトウセイイチ氏が隣町で新作映画を撮影していることだったが、幸いにも氏からの連絡はなかった。主演俳優が演技以外の点で評判を落としている最中のことであったが、それが映画そのものに傷をつけたかどうかは分からない。地元ですら話題にのぼることがなかったからである。一年間だけ軽い手伝いをしていたミニシアターであれば、めざとく情報を嗅ぎつけて仰々しく特別上映などと謳ったかもしれないが、私が夜の住人の多いアパートから引っ越す頃には、底の浅い正義感と思慮の浅い推測で塗り固められたドキュメンタリー作品に手を出すような団体に成り下がっていた。