身体の傷は思い出の……

 左肘に少し目立つ傷痕がある。小学2年の夏頃、自転車で下校中に砂利道で転倒した際の怪我が原因だ。

 バンドエイドやガーゼは携帯していたものの、当時はまだ消毒薬までは持ち歩いておらず、とりあえずガーゼで傷を抑えた状態で家に急ぎ、水とハンドソープで傷口を洗った。多少、歯を食いしばる程度には沁みたのを覚えている。

 しかし、今もなお目立つ傷痕が残っているということは、もう少し適切な治療が必要な事態だったのかもしれない。O157の流行時に、ちょっとした腹痛で死を意識するくらいには心配性だったくせに、単純な外傷に関しては、よほど深かったりしない限り洗って止血さえすれば問題ないと思っていたため、長く残っている傷痕は他にもいくつかある。注射経験が多かったせいか、原因の明確な出血に慣れていたせいもあるだろう(鼻血は原因がわかりにくいことが多いため、今でも不安に感じることがある)。自慢できる話ではないけれど。

 ついにDVDが発売された1994年の映画『クリーン、シェーブン』(監督:ロッジ・ケリガン)には、ピーター・グリーン演じる主人公が血塗れになるまで髭剃りをするシーンがある。精神分裂症に伴う強迫観念的な潔癖症ゆえの行動として描かれているのだが、このシーンについて知人と話した際、「血や傷は潔癖症的にOKなのか?」と問われ、返答に窮してしまった。私自身も『クリーン、シェーブン』の主人公ほどではないが、髭を憎むあまり出血を厭わない節があり、件のシーンも感覚的に納得してしまっていたが、それを理屈として説明することができなかったのだ。無駄毛が駄目で無駄傷は許せる理由は何か。

 ビザール的な魅力さえ感じられない中途半端な左肘の傷痕を眺め続けても、今なお知人を納得させられる説明はできそうにない。