『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(36)

 信頼できるテレビ局では、ちょうどゴルフ場のようにバンカーや池が設けられた球場で行われる野球中継が放送されていた。使いものにならない選手が動員されて催される見世物で、ボールを追いかける勢いのまま池に激しく転落する姿は痛快だが、動員されてしかるべき数名が見当たらないのは不満である。プロ野球の人気低迷を打開しようとする一連のイベントには、引退直後の名選手を集めて「いかに短い時間で試合を終わらせるか」という実験もあり、ちょっとした移動にも全力疾走する姿は滑稽だったものの、通常の試合の長さというものも改めて浮き彫りにされ、人気回復の効果は得られなかったという。 

 球場の池には大量のボールが沈んでいて、転落した選手のなかには身体をボールに絡めとられて浮いてこなくなった者もいる。2年に一度、ボールごと池の水は綺麗に吸い取られるが、選手の身体でホースが詰まるなどということもない。吸水の勢いとボールによって攪拌されるのだから当然のことだろう。彼らの身体はアスリートの割に溶けやすく、作業員たちは心おきなく乱暴に吸引作業を行うことができた。時折、溶け残った指や臓器が浮き上がるたびに、「やっぱり脳味噌は残っとらんな」と言って笑いあう声が聞こえる。バイトで手伝った際も、少し脂臭いこと以外には苦痛に感じる要素もなかった。高校では学校祭の準備が始まっており、他の連中が苦手とする作業だけは得意だったため、結果的に私の作業量は多くなった。しかし、私が苦手とする他の連中の好む作業中、邪魔にならぬよう端でおとなしくしていると「さぼっていないで働け」と怒られるので、バイトに費やす時間を増やすことにした。