『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(5)

 線路を初めて見たのは3歳の頃で、それはマサ君も同じだった。ただし私が見た線路は廃線になった中磯瀬駅ではなく、ヨッチおじさんの家の先のものだった。エリナー・リグビーの墓の前で両親に「もう死んじゃうの?」と訊きつづけた日のことである。廃線になっても中磯瀬の踏切だけは健在で、月曜日の不良たちがよく停車バーを勝手に動かし、交番の警官に注意されていた。私が見た時は反省する様子もなくへらへらしながら戻ってきたので「クズが」とつぶやくと一人が寄って来て酸らしきものをかけられた。しばらく右足がヒリヒリしていた。

 家の前を焼かれて身体が半分ほどになった牛が歩いていたこともあったが、さすがにそれは月曜日の不良たちの仕業ではなかった。父はしばらく疑っていたが、よく考えれば悪行とはいえ連中にそこまで大それたことができるはずもなかった。

 交番の警官たちも酔った農家の親父たちを見逃すこともなくなった。警官たちの変化は小学校と関係していて、校舎から私の家までには教員住宅しかないが、何度か暴力団の抗争による銃撃戦の気配が立ち込めた。私は見覚えのない同級生の女子に奥の手を伝えて共に外へ行き、銃を持つ者や家で待機する者を見つけるたび「親分の葬儀は早まりました」と言ってやり過ごした。

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