キツネで遊ぶな子供たち

 キツネはよく轢かれている。我が故郷の見なれた光景である。当たり前のように沢山のキツネが生息し、そんなキツネたちのことなどお構いなしにダンプやトラックやその他諸々の重機類をせわしなく乗り回す荒々しい農業の方々もまた大勢生息しているのが主な原因だろう。生きたキツネよりも亡骸の方をより多く目にしたという者がいても、ここではさして不思議ではない。

 普通乗用車の犠牲になったキツネは「はねられた」とよべる姿だが、荒々しい農業の方々の犠牲になったキツネは「潰された」「引き裂かれた」と形容すべき、なかなかに悲惨な姿を晒している。キツネの肉体の構造をじっくり観察することが可能な状態であるが、観察したがる者の存在は多くない。

 キツネの亡骸は放置されると、カラスなど他の生き物が啄みに集まる。さらに放置されれば蛆が湧き、より一層観察したがる者が少なくなるような姿となる。小学生の頃、まさにそんな真っ只中の亡骸を登校途中に発見し、クラスメイトの有志と共に空いた肥料袋を用いて処理したことは以前ブログにも書いたが、この時の亡骸は道の真ん中ではなく、傍の茂みで新たな生命たちの温床となっていた。

 道路の真ん中に放置された亡骸はさらに厄介で、運転手たちは接触を嫌い、車体を反対車線に避けることになるため、事故の要因ともなる。生死に関わらずキツネの姿ほど見かけなくはなったものの、まだ分別のつかないちびっこたちも近隣には存在していて、ちびっこゆえの好奇心で亡骸を玩具にし、手も洗わずに疫病や寄生虫を撒き散らすことになりかねないし、無邪気に邪悪な戯れの最中、自らもキツネと同じような姿を晒す可能性だってある。ゆえに、カラスや蛆が集まる前に、荒々しくも分別のある近所の農家、あるいは保健所や道路公団といった職種の方々によって、いつの間にか綺麗に処理されている。

 綺麗に処理されたからといって、道に正視に耐えない姿の亡骸が潰れていた事実は変わらない。我が故郷の道路のどこをとっても見えない痕跡の染みついた可能性があることは、この地に暮らす者は比較的早く理解することになるため、少なくとも私はちびっこ的な腕白さを発揮して道路で転げまわって遊んだ経験は一度もないのだった。

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