あの悪趣味なVHSをもう一度

 時代がVHSからDVDへと変わる頃、多くのレンタル店ではレンタル落ちのVHSが安価で叩き売られていたのだけれど、さすがにアダルトビデオが一般作品と同じ場所に並ぶことはなかったものの、往年のモンド映画や一時期ブームとなった悪趣味系ビデオ(死の瞬間や死体を記録した類のもの)は普通の映画やドラマ、アニメ作品と同列に並んでいることがあり、なかにはご丁寧に「成人指定」のラベル部分を隠すように値段のシールが貼られていたりもした。

 高校の帰りによく立ち寄っていた某レンタル店は陳列状況がまさにその典型例で、ビザールに惹かれがちな私の物欲をこれでもかと刺激してきたのだが、なかなか一線を越える度胸は持てず、しばらくは常識的(?)な映画・ドラマファンの面だけを晒すようにしていた。成人指定のビデオを入手したことが学校側に発覚し、停学になるだけならまだしも、「成人指定のビデオ」という部分だけが流布してしまうと、ただでさえ居心地の良くなかった高校生活がさらに息苦しいものとなるのは自明でる。モテなくても良いし、友達がいなくても構わなかったが、実際に性欲で脳が腐ってしまったかのような連中(そういう奴もいるにはいた)を差し置いて、自分が性欲妖怪と認識されるのだけは避けたかった。

 しかし、足を運ぶたびに目に入るいかがわしいVHSのパッケージたちは、私のビザールな物欲を駆り立て続け、高3の春、ついに『ジャンク2 死の儀式』と『ジャンク5 死のカタログ』の2本をレジへ持っていくことを決心した。『ラスト・アクション・ヒーロー』と『飛べないアヒル』、そして『チ・ン・ピ・ラ』という統一感に欠けた3作を混ぜ込んでおいたのは、当時の私の気の小ささの表れである。だが、そんな私の無意味な策略をよそに、店員からこれといったチェックはなく、当然お咎めも受けることはなかった。店員のほうも余計な仕事を増やしたくなかったのかもしれない。

 それにしても、VHS時代のパッケージというのは、ホラー作品や悪趣味系ビデオだけでなく、一般作品であっても妙に禍々しい雰囲気を漂わせているものが結構あり、ひょっとしたらあの雰囲気こそが幼少時代から私をレンタル輪廻にいざなった最大の要因なのかもしれない。レンタル落ちVHSには、すでにテープが痛んで再生不能なものさえ混じっていることがあるのだが、あのパッケージを棚に並べておくだけでも不思議と満足感が得られるのである。

ジャンク 死と惨劇 [DVD]

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デルモンテ平山の「ゴミビデオ大全」 (映画秘宝セレクション)

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  • 作者:平山 夢明
  • 発売日: 2017/01/11
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洋楽の邦訳風文章に隠された意味があるかどうか決めるのはあなたの賢さ次第と言っても過言ではないのだ

 誰がのさばらせたんだろうな 案外優しい君たちかもよ

 弱い者には優しい振り 強い者にはひたすら厳しい

 そりゃ強い連中だって怒るさ 足りない頭でカンカンさ

 阿呆が怒れば手がつけられない

 そんな事もわからないほど抜けちまったのかい

 必要なのは強さでも優しさでもない ましてや涙の数なんかじゃない

 賢さだってことを知りたくないから ひたすら体を鍛えて悦に入るのかい

 間抜け同士仲良くしろと言っても無理な話だろうな

 賢い奴らは強い奴も弱い奴も方舟作りに精を出してる

 なんたってアホーと叫ぶ声が聞こえるからな

 


Warren Zevon - Werewolves Of London (Official Music Video)

参考に聴いていたのはこの曲 こんな内容じゃないけどね

Excitable Boy

Excitable Boy

 

波乱を好むほど被虐的でも暇でもないからサティスファクションを叫んだりする

 雪も降り、寒さも段々と厳しくなってきたのだけれど、冬が近づくと陽も高くなり、窓の位置や大きさによっては日光が厚かましいくらいに射し込んできて、ちょっと寒いからといってストーブなんかつけてしまうと、暑がりの私には夏場と変わらないくらいの不快な環境になってしまう。12月の中旬を迎えるくらいまでは、多少の寒さは我慢していたほうが過ごしやすい。

 そんなわけで、今年も残すところ1ヶ月半ほどとなったわけだが、精神面の事情もあって世間のことは遠目に窺う程度にしているつもりなのだけれど、2019年という年は何の遠慮もなくあんな事やらこんな事を注ぎ込んでくるものだから、例年にないほどの疲労感がある。悪いけれど、2019年氏には早いところ去ってほしいというのが本音である。

 しかし、その後に控える2020年氏もなんだか面倒な爆弾を抱えていらっしゃるようで、いつになったら穏やかな顔の新年氏と巡りあえるのだろう。残りの人生で出会うことが出来るのだろうか。残り時間が多いとは思えない身体を魂の器としているので、できれば新年氏のほうに頑張っていただきたいのだが、なんだか物心ついたあたりから、私が出会ってきた新年氏は揃いも揃ってやさぐれている印象である。かといって私自身までつられてやさぐれてしまうと、ただでさえ残り少ない時間がさらに荒削りされてしまうので、もう世間のことは遠目の薄目くらいにしたほうが良いのかもしれない(まったく目にしないでいるのも、それはそれで不安に駆られてしまうので厄介である)。

 とりあえず、2019年氏には残りの1ヶ月半くらいは大人しくしといてくれよと伝えておきたい。2019年氏に人格があればの話だけれど。

サティスファクション

サティスファクション

 

 

めんないがらすのこのあたしとは……

 少し遠出した先で、陰鬱な雰囲気の時代劇くらいでしか見たことのなかった木に吊るされたカラス(本物)を初めて目にした。季節柄、草木の葉も多くは落ちて枯れ、木枯らしも吹き、十勝ならではの周囲に建造物がほとんどない大平原という景観とも相俟って、斬りたくない相手を斬ってきた座頭市の後ろ姿が見えてきそうで、その場にとどまりすぎると自分まで斬られてしまうのではないかなどとも考えてしまう。おてんとさん、おてんとさん……。

 農作物からカラスを遠ざけるためのものなのだろうが、園芸用品店などで売られているビニール製のカラスならばともかく、本物のカラスの死骸となると、むしろ遠ざかるのは人間のような気もする。その場所から車で20分ほどの距離には刑務所もあり(前を通ると、ちょうど出入口付近を行進する受刑者の姿が見えた)、まさか脱走した受刑者を近寄らせないために吊るしているわけではないだろうが、このご時勢にわざわざ本物を吊るしているのを目にすると、あれこれと勘繰ってしまいそうになる。死骸を拾ってきて吊るしただけだとは思うが、吊るすために殺したのであれば鳥獣保護法違反にもなるだろう。怖いから調べるつもりはないけれど。

 軽くネットで検索してみると、今でも本物の死骸をカラス避けのために畑などに吊るす人は稀にいるようだ。なかには、家の軒先に吊るして騒動になったケースもあるらしい。我が家にもカラスは頻繁にやってくるが、今のところ特に目立った害はない。厄介なところに糞を垂れていくのも、大抵は別の鳥である。できれば、このまま良好な関係を続けていきたいものである。

座頭市物語 DVD-BOX

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人型幕の内弁当殺人事件

 タイトル通りの夢を見た。夢なのでぼんやりとした記憶ではあるが、バラエティ番組等でよく見る「被り物」の形態でご飯の部分に顔を出す穴らしきものがあり、白塗りされた男の顔が確認できた。シルエット的には、故・野坂昭如先生が出演していたアース製薬「ダニアース」のCM(畳の穴から野坂先生が顔を出している)に近い。しかし、人間の胴体部分が確認できない。胴体がなければ「人型」とは言い難いのだが、あくまで「人型」と認識していたのは、夢ならではの不条理の成せる業である。

 人型幕の内弁当の顔は松本人志氏に似ており、おそらくこの夢自体が『ダウンタウンのごっつええ感じ』で放送されていた“いかめし駅長殺人事件”や“大手長コウモリ白ムササビ殺人事件”などの○○殺人事件シリーズに影響されているのだろう(ただし、実際の○○殺人事件シリーズにおいて、松本さんが被害者の役に扮したことはないはず)。もっとも、被害者である人型幕の内弁当を囲んで事件の全貌を推理する刑事たちの姿も確認できなかった。それでも私は目覚める前からこの状況を「人型幕の内弁当殺人事件」と認識していたのである。

 それにしても、なぜ幕の内弁当だったのか。とりあえず、幕の内弁当に関する個人的な思い出を探ってみたが、特に強烈な出来事があったわけでもない。幕の内弁当に関する強烈な出来事など私以外の人たちにだってそうそうあるものではないと思うし、仮にあったのだとすれば、もっと頻繁に夢に出てきてもおかしくない。たまたま脳内で幕の内弁当というワードが照らされただけなのだろう。それでもあえて挙げるのならば、「幕の内弁当」という名前の意味を小学校時代の同級生H君に教えた時のことだろう。人生において「幕の内弁当」という言葉をいつ頃知るのが平均的なのかは知らないが、H君がその言葉を初めて耳にしたのは、昨年死刑が執行されたオウム真理教元代表麻原彰晃が逮捕されて少し経った頃、拘置所で幕の内弁当を食べていたという話(「自弁を食べていますから」と答えたとか)がワイドショーでとりあげられているのを見た時だった。どんな弁当なのか気になり、あくる日、私に質問してきたのである。

 改めて考えてみると、不謹慎という気もするが、どうやら私の中で幕の内弁当と殺人事件が繋がること自体には、必然性が全くなかったわけでもないらしい。夢の内容としてならば尚の事だろう。ちなみに私は幕の内弁当を食べたことはほとんどない。食えないおかずと対面する危険性が高いからである。

THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 1 [DVD]

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さよなら好きになったヒト

 実際の恋愛感情でもアイドルなどに対するいわゆる「推し」的な感情でも良いのだが、とにかく好きになった対象を不幸にさせてしまう性質(そいつ自身の言動が原因の場合もあれば何らかの呪いか宿命のような場合もあるだろう)の持主がいたとして、そんな人物がたとえば必ず願いが叶う方法で好きな相手の幸福を願った場合、その人物の「相手を不幸にさせる性質」が改善されるのか、はたまた対象への好意が急に冷めてしまうのか、どちらの方向へ転がるのだろうなどと考えたりするのだけれど、必ず願いの叶う方法なんてものがこの世に存在しないので確認のしようがない。

 もっとも、そいつ自身の言動が原因で相手を不幸にするタイプの場合、好きな相手の幸福だけを願うことはなさそうではある。きっと自分だけのものにしようと願うだろう。ゆえに、願いを叶えてくれる力に人間的な感情が存在するのなら、きっと呪いや宿命のようなものだけを消し去ってくれることだろう。機械的に願いを叶えるだけの場合は、本人に非がなくとも思いそのものが消え去る可能性が高まる気がする。いや、繰り返しになるが、必ず願いの叶う方法自体が存在しないのだから、すべて憶測どころか妄想なのだけれど。

 しかし、どんな願い事でも、いざ叶った時に色々と不都合が生じてしまう危険性はあり、仮に必ず願いの叶う方法を知ることができたとしても、生じ得る不都合を考慮した願い方にしないと後で後悔することになるだろう。簡単に願いを叶えることができても、願い方を熟考できるだけの頭がなければ、せっかくの神秘的な力も無駄になってしまう。

 幸い、そんな神秘的な力など存在しないのだから、真剣に悩む必要もないのである。

 

せんせい、さようなら みなさん、さようなら

 小・中学校時代の教師たちのなかで、卒業後に数回程度でも交流のあった教師というのはほとんど居ない。そんな卒業以来、顔をあわせることのなかった教師に突然連絡した場合、その教師はどんな反応をするのだろうと時折考える。教師にとって私は数多く相手にしてきた生徒たちの一人でしかないわけだから、詳しいことなど覚えていなくとも不思議ではない。しかし、覚えているかどうかに限らず、卒業してから交流のなかった教え子から急な連絡を受けた場合、多少なりとも警戒心のようなものは芽生えるように思う。身に覚えはなくとも、気づかぬうちに生徒を傷つけたことがあるかもしれないという想像くらいはできてほしい。教師に限った話ではないが、復讐の可能性を考えない者ほど復讐される可能性は高いように思う。

 どれだけ信憑性があったかは別として、「キレる10代」といったワードがメディア等で頻出していた頃、ナイフ防護スーツといったものを買い求める教員が増加したという話を聞いたことがある。子供に怯えきった教師というのも、それはそれで問題だろうが、暴力や暴言等でニュースになる教師たちは報復の可能性を考えたことはあるのだろうか。関わった教師一人一人に「あなたは私から連絡を受けた時、なんらかの報復行為だとは思わなかったのですか?」と訊いてみたいが、私は私で教師側から怨まれている危険性が高いような気がするので、教師も私からの連絡を受けて「これ幸い」と報復準備に取り掛かっているかもしれず、どうやら教師と生徒の関係に限らず、長いこと会っていない人間と連絡を取るのは、お互いのためにも避けたほうが良いのかもしれない。

さよなら、小津先生 DVD-BOX

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  • 発売日: 2002/05/15
  • メディア: DVD