まとまらないまとめ

 togetterにコメントを残す時点で、あまり近づいちゃいけない人物なのだなという判断になる。

 あれは、最初の問題提起が何であれ、あらゆる角度から自由に、悪く言えば何の秩序もなくコメントが飛び交い、その中から特に自分が批判したい意見、あるいは同意したい意見に、熱のこもったコメントが加えられ、そしてそれにまた……ということが繰り返され、結局、当初の問題の建設的な議論になどならず、浮上した小さな問題が整理されることもない(整理しようとするコメントも中にはあるが、大半が「コメントしたくなる意見」しか読まないので、整理した傍から散らかされていく)。

 だから、togetterのまとめに関して、何か意見を述べる場合、今書かれているコメントをくまなくチェックして、ブログなり何なりに当初の問題提起からコメントの中で浮上したあらゆる「小さな問題」を整理したうえで意見をまとめて書く、つまりは、論文を書くつもりでないと意味がないと思うし、それが出来ないのなら、手を出すものじゃない。私も、よく「何か言いたい気持ち」にはなるが、大抵自身の体力のなさゆえに諦めている(くまなく読む、まではするのだが、疲れ切って何か書こうという気分が消えてしまっている。『聲の形』に関する感想/考察の時もよくそんな気分になった。そういえば、今日は硝子の誕生日ですね。人目に触れやすい場で私なんぞが祝うと、他のファンの方が不快に思うだろうから、独りでこっそり祝っておきます)。

 ドッジボールの件に関しても、内田良さんが「発信源である勝部さんのツイートよりも,それをご自身がまとめられたブログのほうを読まれるとよいかと思います」と呟いていたが、実際にブログをちゃんと読むような人は、おそらくハナからtogetterコメントのような呟き意見なんか述べないのだろう。

 そんなわけで、「しょっちゅうtogetterにコメントしている人」とは関わらないようにした方が身体に良い、という判断になり、またそんな人の呟きをしょっちゅう無批判にRTしてくる人も要注意扱いになる。著作などで、良くも悪くも実績が見える人なら、「togetterにコメントしているから」というだけでは判断しないが、素性の知れぬ人(お前が言うなと思われるだろうが)に対する警戒するポイントの一つにはなると思う。

柔道事故

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紋切型社会――言葉で固まる現代を解きほぐす

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