「食べてしまいたいほど格好良い」

 「食べてしまいたいほど可愛い」という言葉は、たまに聞く。たまに聞くたびに「せっかくの可愛らしいものをお前なんぞに喰われてたまるか」と思い、この言葉を発した者に対して憎悪が生じる。せっかくの可愛らしいものが世界から消えてしまうだけでなく、お前なんぞの排泄物と化してしまうなど、憎悪するなというほうが無理な話だろう。「食べてしまいたいほど可愛い」と公言するからには、それなりの覚悟をしてもらいたい。

 ところで、私が神奈川県川崎市のとあるアパートで一人暮らしをしていた頃、部屋に一匹のスズメバチが侵入してきたことがある。スズメバチといえば、ご存知の通り、刺されれば死ぬこともあるおそろしい蜂である。ゆえに、対処するべき相手である。しかし、私はすぐには殺虫剤を手にすることができなかった。

 私は虫が嫌いである。ほぼ虫など現れない冬の北海道であっても、最低2本の殺虫剤が手元にないと安心できない。特に蜘蛛が嫌いである。益虫だと言われても無理なものは無理である。いや、糸を出さずに地面や壁を這いまわっているだけのやつならいい。食べてしまいたいと思ったことはないが、ハエトリグモは可愛らしいと思うし(こいつは神奈川の部屋の玄関あたりによく現れた。可愛いのでほっておいた)、なんとなくアシダカ軍曹ともうまくやっていける気がする(小さな子供を増やされるのは、ちょっと勘弁してもらいたい)。しかし、ジョロウグモやらオニグモやらは、殺虫剤で溺れ死にさせてしまうほど嫌いである。なので、虫を殺してしまうことに、良心が耐えられないというタイプの人間ではない。

 蜂を可愛いと思ったことはない。『みつばちマーヤ』も『みなしごハッチ』も、キャラクターとしてあまり好きではない。だが、スズメバチには、アシダカ軍曹にも似た「もし、うまくやっていけるなら、そうしたい」と思わされるような威厳というか格好よさがある。なんとか、殺さずに帰ってもらう方法はないだろうかと、その日も考えた。

 とりあえず、スズメバチ氏は水場のほうへ飛んでいったので、居間と台所を分断する引き戸を閉めた。スズメバチ氏の羽音は軍用ヘリのように重厚なので、戸を挟んでいても、氏が飛翔する様子が聴覚によって把握できた。台所側に向かい、窓やドアを開ければ、「小僧、邪魔をしたな」と私に言い残して去っていってくれるかもしれない。しかし、敵と認識されて刺されてしまっては、貧弱な私などひとたまりもない。それに、外では、どうやらイエローゴブリン……否、ちびっこたちが遊ぶ声がしていた。私がスズメバチ氏を外に逃がしたことによって、ちびっこたちの誰かが刺されてしまっては、さすがに罪悪感を免れることはできない。

 仕方なく、私は殺虫剤を駆使して、スズメバチ氏を亡き者にした。羽音の聞こえなくなった台所側に行くと、床に息絶えたスズメバチ氏が横たわっていたので、割り箸でつまんだ(脈をとったり、呼吸を確かめたりすることはできないので、もしかしたら最後の力を振り絞って、私に復讐を果たす可能性もある。ゆえに素手でつかむことは危険である)。冷静に氏の姿を観察してみると、とてもりりしいお顔をしている。鋭利な恐怖は感じるが、嫌悪感は少しも湧いてこない。オニグモの野郎やGの奴とは、えらい違いである。

 箸を使っていたせいだろうか。私はふと「から揚げか何かにされたスズメバチを食えと言われたら、なんの抵抗もなく食えるかもしれないな」と考えた。オニグモやGだと、これは食用に飼育された特別なものなのだと説明されてもお断りだし、無理に食わせようとする相手がいたら、そいつの眼球を押し潰して逃走を図る。しかし、スズメバチなら平気だと思った。

 いっそ、鳥葬のように、食ってしまったほうが供養になるのではとも考えた。しかし、目の前のスズメバチ氏は殺虫剤にまみれているので、それは不可能だった。

 さて、この時の「食えるかもしれない」という感情は、「食べてしまいたいほど可愛い」というものと似た感覚だったのだろうか。「食べてしまいたいほど可愛い」と思ったことがないので、それを判断することができない。だが、ちょっと違う気はする。どちらかといえば、「人魚の肉を食えば不老不死になれる」とかに近い気がしている。もちろん、スズメバチを食ったところで、美月雨竜さんは貧弱なままで、りりしくなんかならないはずである。

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