『東京腸女むすび』(16)

 結局、花火に興味のないわたしは、延々と好きなお笑い芸人さんのコントを頭の中で再生して、一人でくすくすうふふと思い出し笑いばかりしていました。本当に変な女ですね。そりゃあ、腸が飛び出たりもするわけです。
 克仁さんは、やけに口数も少なく、花火をぼんやり眺めたり、くすくすうふふと思い出し笑いするわたしをちらちら横目で見たりしていました。こんな変な女の隣で花火見物をして、いったいどんな気分でいらっしゃったのでしょう。おそらく、わたしには永遠に分からないままだと思います。
 花火が終わると、集まっていた大勢の観客が、ざわりざわりと帰り支度をはじめます。
 お祭りの雰囲気にあてられて調子に乗ってしまっている人もいるかもしれませんから、わたしも帰り道は、なるべく安全な道を通らなければなりません。そのためにも、克仁さんには、途中まで送っていただかないといけません。あくまで途中まで、ですけれど。
「そろそろ帰りましょうか」
 わたしが先に切り出しました。
 克仁さんは、「そうですね」と答えて立ち上がります。
 さて、わたしから切り出しておいて、このあとはどう続けましょう。二人とも、無言で歩き始めてしまいましたよ。
 まるで、どちらかが真剣なお付き合いをお願いしかねない、危険な雰囲気です。もちろん、わたしにそのつもりはないのですけれど。
 サトウさんとお付き合いをはじめたときだって、こんな雰囲気にはなりませんでした。もっと軽やかで爽やかでした。というか、いつの間にか、お互いのお部屋でおしゃべりするようになっていました。だからこそ、わたしはサトウさんのことが忘れられないのかもしれません。
 なんだか、このましくない緊張感です。
 どうしましょう、どうしましょう。
 ひくひくひくひく。
 このような湿度の高い雰囲気の場合、よく急に男性が女性の腰などに手をまわしたり、がばっと覆いかぶさってきたりという場面を映画やドラマなどでは目にします。なんだか、それが自然なことだと世界中で思われているかのような、ちょっとした圧迫感すら感じてしまいますが、世の中にはそんな人ばかりではありません。
 克仁さんが、心の内では、どのように思っているのか分かりませんが、少なくとも彼は、行動よりも先に言葉が出るタイプのようでした。腸の飛び出たわたしとしては、幸いなことです。
「あの、小竹さん」
 周りから人気が少なくなった辺りで、ついに克仁さんが立ち止まり、少し震えた声でわたしを呼びます。
 やばいかもしれません。
 このままでは、先に告白されてしまうかもしれません。
 はやく、あくまでお友達という笑顔でお別れしないと。
 でも、他人の言葉を遮るのは、得意ではありません。
 せめて、克仁さんの口から後に続く言葉が、告白とは別のものであってくれれば良いと願います。
「もし、よかったら……その、いわゆる結婚を前提としたお付き合いをしていただけませんか?」
 ついに来てしまいました。しかも、なんと古風な告白の仕方なのでしょう。
「あの……それは、ちょっと」
 さっさと「楽しかったですね。いいお友達でいましょうね」で一刀両断すれば良かったものを、わたしはやっぱりぬけています。
「もし、僕の将来性に不安があるというのでしたら……」
 ああ、どうしてわたしの古傷をえぐるようなセリフをおっしゃるのですか。
「お金のこととかも。なんなら、これまでに集めたマンガとかDVDとかも、一度手放してもいいと思っています」
 おや、ちょっと妙な展開ですね。
「趣味を断ち切る覚悟もできています」
 あらあら、まあまあ。
 そんな考えは、いけないと思いますよ、克仁さん。
 ひくひくひく。

      ○      ○      ○

 サトウさんと、一度だけ口論になったことがありました。
 それは、サトウさんが、マンガやアニメもお好きであるということを隠していたからです。
 マンガやアニメが好きな男性のことを気持ち悪く思う人たちは、残念なことに今も少なくはないようです。
 女の子に幻想を抱き過ぎとか、都合の良い恋愛妄想ばっかりだとか。
 でもそれは、女性向けのマンガやアニメにおける男性像でも、あまり変わらないような気がします。
 実はサトウさんも映画だけでなく、マンガやアニメが大好きだったのです。ですが、映画については、出会って間もないころからいろいろとお話してくれていたのですが、マンガやアニメがお好きだということは、しばらく隠されていました。
 打ち解けていくうちに、サトウさんは自らマンガやアニメのお話もしてくれるようになりました。しかし、一時は隠そうとしていたということが、ほんの軽いものではありましたが、たった一度だけのサトウさんとの口論の原因になりました。いえ、口論というより、わたしが一方的に怒ってしまったのですけれどね。
 たしかに、マンガやアニメに出てくるきらきらした女の子に幻想を抱いている人もいるのでしょう。サトウさんだって、そんな女の子たちがお好きであることは間違いないようでした。しかし、女の子はマンガやアニメに出てくるようなきらきらのつるつるのすべすべでなければいけない、と考えてしまうほどの残念な人でもありませんでした。
 そもそも、趣味を犠牲にして恋愛をするという考えが分かりません。
 サトウさんは、わたしがそういうものを軽蔑するような女だと思っていたのですか? それは心外ですよ。
 そうお伝えすると、サトウさんは、「そうですね。ごめんなさい。小竹さんのことを、勝手にそんなろくでもない人かもしれないと考えてしまって、本当に申し訳ありません」とゆっくり頭を下げてくれました。その謝り方も、なんだかとても可愛らしかったのを覚えています。
 サトウさんとお付き合いしていた頃のわたしは、いたって普通の女の子でした。
 しかし、腸が飛び出てしまい、そのことを隠しながらサトウさんと別れ、田舎に逃げてきたわたしは、皮肉なことに、サトウさんが今もひょっとしたらお好きなのかもしれない、マンガやアニメに出てくるような理想の女の子に近い存在になってしまったのです。
 ですが、気持ち悪い男の幻想と揶揄されそうな女の子だって、それはあくまで、マンガやアニメのなかでそういったことが描かれていないというだけのことです。現実に、トイレを必要としない女性というのは、さすがに本当に気持ち悪がられてしまうかもしれません。しかも、飛び出た腸がおまけで付いてくるのですからね。
 サトウさんは、こんなわたしでも、お付き合いを続けてくれていたでしょうか。
 もう一度、お会いできたら、今度は本気で聞いてみたいです。
「腸のきれいなおねえさんは好きですか?」と。