油断する努力

 油を断つと書いて油断なのだから、自分の身体から極力「油」というやつをなくそうと日々努力している私は常に油断状態にあると言って良い。私が努力していることなんてそれくらいであるし、それは私だけでなく人類全体がその程度の姿勢で生きるべきなのではないかとさえ考えている。つまり、全人類、油断せずに油断に努めよということだ。

 まあ、ここまでは「何を言っているんだ、こいつは」的な馬鹿話ではあるけれども、なにかと「やる気」だの「根性」だのという知性を放棄した精神論を掲げて、人間という生命体のキャパシティを超えた活動を推奨した挙句、苦渋に満ちた死に顔ばかり生み出すことの多いこの国の住人たちにとって、「油断せずに油断する」というのは、新時代に向けた希望溢れるスローガンと言えるのではないかという意見に対しては「何を言っているんだ、こいつは」などと蔑んでほしくないし、蔑むような輩は、早いとこFACES OF DEATHしてくれ。

 話は変わるが、『DEATH NOTE』では、殺したい相手の顔と名前が分からなければいけなかったが、あの作品(原作であるマンガからアニメ、実写映画版なども含め)から10年以上の時が流れた現在、殺したい相手の候補として脳内に挙がる者の多くが、顔も名前も分からないネット上の誰かである場合も少なくないだろう。ゆえに顔と名前を知られない限り殺されることもないデスノートよりも、ツイッターでブロックした相手を殺せる能力とかのほうが実用的(?)であり、恐怖度も高そうだ。デスミュートにデスブロック。実際、ミュートを監獄送りに、ブロックをギロチンに例えたイラストをツイッターで目にしたので、結構な数の人が似たようなことを考えているのだろう。

 とは言え、こんなことをついついブログに書き散らかしてしまったが、どうかデスミュートやデスブロックではなく、普通のミュートやブロックで勘弁してほしいところである。