ぼくらの三十年戦争

 1993年の4月から2002年の3月までが、私にとっての義務教育期間だったわけだが、その間に出会った教師たちの中で、現在の世相から考えると、いわゆる炎上案件、ひょっとすれば逮捕の可能性もあると考えられる言動を目にしたのは、ざっと思い返してみると14名に及ぶ。小・中ともに児童数の少ない田舎学校ということもあり、比率として低いとは言えないだろう。

 そのうち、あくまで私の目から見て、はっきりと容認はできずとも、場面として仕方ない部分もあったと思える例にしか該当しない教員は2名。だが、おそらく現在になって、当時の言動を反省している可能性が最も高いのは、この2名であろう。仕方なく思えるような場面になって、ようやく行き過ぎとも捉えられる言動をとる教員というのは、基本的には「行き過ぎない教員」なわけで、それゆえに一線を踏み越えてしまった場面のこともきっと覚えているだろう。なんなら、本来筆頭で非難されるべき他の12名を飛び越えて、わざわざ自ら謝罪告白をし、世間からの攻撃を一身に浴びることにもなりかねない。

 12名たちは当時も今も行き過ぎなどとは考えもしないのだろうし、覚えてもいないのだろう。少しでも負い目を感じるのなら、私ならば可能な限り世界から隠れて生活する。間違っても、かつての知人たちが集いそうな場所に堂々と現れたりしないし、自分や身内の活動がなんらかの形で評価されても、新聞やテレビといったメディアに顔や名前を晒したりしない。「殺して欲しい」という願望があるのならば別だが。

 12名のうち3名程が、地元新聞によく顔や名前を晒している。目にするたびに私の中には殺意が沸きあがるが、12名たちより重い罪と罰を負わされるのは我慢ならないので、鋏で写真の顔や身体を強く突き刺すだけで我慢している。