デスノートすら緩くなった世界の片隅で愛なんか叫んでいられない

 2月14日の投稿で想像した通り、聖火ランナーを辞退した方々に対する知識と想像力の欠落した批判コメントが見受けられ、仮にオリンピックの開催を推進する者たちのなかに批判者たちのような思考回路の人間が多く存在するのだとしたら、いくら様々な兼ね合いも考慮したうえで現実的な開催方法を模索している推進派の方がいたところで、そりゃあ次から次に問題が発生するだろうなと思う(以前も記した通り、今回の東京五輪はコロナ禍以前から色々と問題が指摘されていた)。とりあえず、あまりに不快だったのでツイッターでは批判者を片っ端から予防ブロックしておいた。

 さて、小倉智昭さんは辞退する方の判断も認めたうえで「自分は死んでも走る」と述べたらしいけれど、確かにこの状況では小倉さんほどの覚悟がなければ辞退が賢明だと感じる。ただでさえコロナ対策に関係者が苦心しているのだから警備だって通常よりも困難だろう。そこにもし過激な反対派の襲撃なんかがあったらと考えると、自分ならどう思われようと辞退する(幸い平和な状態であってもスポーツの祭典に魅力をほぼ感じないので、はなから走る気もない。そもそも白羽の矢が立つほどの人気も人望も話題性もない)。

 それにしても、森元会長の発言等を発端とした政治的/思想的な理由での辞退に対する批判が出てくることは(その批判に同意はしないものの)容易に予想することができたが、スケジュール的な理由に対して「1日の予定くらいどうにかしろ」「前々から決まっていたはずだ」などといった批判が少なくなかったのには驚いた。いくら走る距離がそう長くないからといって移動時間のこともあるし、なにより国家的催しとも言われるオリンピックの関係行事が(批判者の多くは、その点を重視しているはずなのに)1日や2日スケジュールを空ければ済むことだと考えてしまえることが不思議である。また、延期された日程自体はたしかに前々から決まっていたようだが、「ランナーには2週間前から当日まで、会食をしないことや密集する場所への外出を避けることを求める」といった内容が含まれたコロナ対策ガイドラインの発表は2月25日のことである。ガイドラインに盛り込まれそうな事案がランナーやその関係者に早めに通達されたのかどうかはわからないが、もし一般公表と同じであるのなら、3月3日現在に辞退を申し込んだところでドタキャンなどと言われる筋合いはないだろう。

 しかし、誹謗中傷の類がこれほど匿名的になってくると、相手の顔と名前の記憶が必要だという『デスノート』のルールですら緩く感じてしまう。今なら、アイコンとハンドルネームだけでも実行可能くらいでないと(恐怖政治ではあっても)抑止力としての魅力は薄いかもしれない。そういえば、酷く差別的で攻撃的なことばかり発信しているアカウントはいわゆる「捨て垢」が多く、少しすると消えたり使われなくなって放置されているのも目にするが、ひょっとしたらどこかにアップデート版デスノートを手にした者がいるのかもしれない……なんてことを妄想したりもする。

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