『空にかたつむりを見たかい?』 第20回

 ナスレディンは、桑窪家で飼われている犬だ。少し大きめの雑種犬である。ダイチや僕が小学校二年のころ、ふらりと桑窪家の庭に現れ、それ以来家族の一員になった。名前は塔子さんがつけてくれた。

 ナスレディンには、奇妙な癖がある。

 それは高い所に登り、空を見上げることだ。

 幼犬だったころから、ナスレディンは高い所に登りたがった。大きくなるにつれ、器用に小屋などをつたって家の屋根に登り、空を見上げる。散歩に連れて行っても、時折、木に登ろうとすることがある。

「『神を見た犬』ならぬ、『神を見たい犬』ってところかな」

 以前、散歩途中にたまたま出会った塔子さんは、そんなナスレディンの姿を見て言った。ナスレディンが実際に何を見ているのかは分からない。

「ナスレディン」

 犬小屋の屋根に登って夜空を見ていたナスレディンだったが、僕が名前を呼ぶと、屋根から降りてきた。夕食の皿を置くと、空腹だったのか、がつがつと食べはじめた。

 ナスレディンは滅多に吠えることがない。賢い証拠なのかもしれない。

 阪市さんの話にも出てきたとおり、桑窪家では、代々犬が飼われ続けている。二、三匹同時に飼っていた時期もあるくらいで、犬がいなかった時期はないらしい。ナスレディンが桑窪家にやってきた時も、シャリオンという別の犬が既に飼われていて、しばらくはナスレディンと仲良く暮らしていた。だが、そんなシャリオンは三年前に寿命を全うした。

「ナスレディンもイヌフラシが産んだ犬なのかな」

 いつの間にか僕の後ろに来ていたダイチが言った。

 イヌフラシ。これもまた、阪市さんの話に出てきた名前だ。

 イヌフラシとは、九十年代のはじめ頃から、知悦部小学校の児童たちの間で噂になった妖怪の名前である。

 この知悦部地区は、小学校を中心に、野良犬が多く現れる。生まれつきの野良なのか、捨て犬なのかは分からないが、とにかく多くの犬が現れては、知悦部の民家、あるいは小学校で飼われることになった。拾う者が多いから捨てる者も多いのでは、と考える人もいたけれど、真相は分からない。

 そこで囁かれはじめたのが、妖怪・イヌフラシの存在だ。

 最初は、次々に現れる犬は妖怪が生み出しているというだけの噂だった。だが、そのうち誰かが、妖怪を「イヌフラシ」と名付けた。以後、いろいろと勝手なストーリーが付属しはじめる。

 妖怪イヌフラシは、各地の小・中学校近辺に出没し、次から次に犬を発生させる。姿は中年男性のような時もあれば、老人のような時もある。時には、若い女性の姿にも化ける。しかし真の姿は、顔はブルドッグ、胴体はドーベルマンで、二足歩行をする体長三メートルの化物だ。そんな化物が、この知悦部地区には古くから棲みついている。

 これが、イヌフラシにまつわる噂の大まかな内容だ。