落ちている財布に手をつけるべきではない良心以外の理由

 危ない薬とかが入っている場合があるからである。

 というのも、私の近くはないけれど遠くもない親族に、オリンピックよりは間隔の長いペースでお捕まりになっている方がいるのですが、前回お縄になった際は、おくすりをお持ちのところをお巡りさんに発見され、慌てておくすりの入ったお財布を爽やかなスポーツマンのようにお投げ飛ばしになったのです。おくすりをお買いできるだけのお金も入っていたせいか、お投げ飛ばされになったお財布はどなたかに拾われてしまったようで、お巡りさんによる捜索は難航するわけですが、その話を耳にした時、私は「お金に目がくらんでお財布に手をつけてしまった人は、知らず知らずのうちにおくすり所持という危険な状態にあるのかもしれないなあ」などと考えたのでした。

 いけない世界のお話なので、なるべく上品さを装って語ってみたけれども、ほとんど付き合いがないとはいえ、私も親族であるわけだから、常に捜査線上の片隅に名前が挙がっているのかもしれず、ちょっとでも道を踏み外せば、あっという間にお縄になってしまうのだろう。逆に言えば、こうしてシャバの空気を吸い続けているのは、私が(少なくとも法的には)潔癖であることを意味している。もっと胸を張って生きても良いのかもしれない。

 とりあえず、私は道端に財布が落ちているのを見かけても、決して手をつけないようにしようと思う。欠片ばかりの良心に従って交番に届けたとしても、そこで財布の中に違法なものが入っていたら、無用の疑いを受ける可能性もあるため、心を鬼にして見て見ぬふりに徹する。人の道を外れてでも、いくらかの金銭が欲しい場合は、的確に現金だけを抜き取るのがベターだろう。現ナマだけならば足はつきにくい。

 まあ、こんなことを考えている奴のどこが法的に潔癖なのだと言われるかもしれない。そういてば、かつてネットの片隅に悪いジョークとして存在していた「人間のクズチェック」というページで、財布を拾った際にとる行動の選択肢として最もクズ度の高い行為は「中身を抜き取って財布を売る」であった。しかし、中身の危険性を確認せずに抜き取って自分のものにしてしまうのは、無鉄砲が過ぎる。クズならクズらしく保身についても考えておくべきだろう。それに、必ずしも良心に従えば自分も他人も幸せでいられるとも限らない。良心はあくまで良心であるというだけで、それが適切な答えかどうかとは別なのだろう。