『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(69)

 爪に葉の欠片が詰まるほど強い力で地面をむしり、怨み言の後に必ずやってくる幼少期に迷子になったような寂しさはいくら頭を強く振っても打ち消すことができないとわかっていたので、祖母の土地で最も綺麗で控えめで郷愁を誘った苺畑のような景色を求め、現実にないことを前提に書物を漁り始めた。ストロベリー・フィールドは地名であり、決して苺畑そのものではないと既に理解していたが、あの曲が似合う景色に立つことが出来さえすれば死への恐怖も和らぐだろうと信じていたので、たとえ生涯の大半を棒に振ろうと諦めるわけにはいかなかった。タッちゃんの返答より前から気づいていたのだろう。しかし、都市計画を盛大に失敗した地元では、今や苺畑はもちろん、木の下に置かれたオルガンなど片鱗を探す気すら起こさせてくれず、そもそも味気のある木が見当たらなくなり、猫カフェの向かいの国道でリスが轢死しているのも無理のない話だ。猫は嫌いではないが、街は猫にしか優しくないのである。

 記憶もおぼろげなほど前に亡くなったヤスヒロの家の猫は、幼児向けの手押し車を押して歩くのが好きだったが、幼いヤスヒロは猫に自分の玩具が舐められることを嫌っていた。伯母は玩具を押す茶虎の猫の写真を見せては「ティコはこれが好きだったのに、ヤスが嫌がるから……」と罪悪感を植え込み続けた。「毒餌を撒いたり、水の溜まったドラム缶に猫を沈めたりしなかったのは奇跡的」とお嬢は評したが、オハイオ州ジーニアのように猫肉を裏で買い取る店がここには存在しなかったのが幸いだったのだろう。1995年頃までは、実験用のネズミを病院に売ることくらいしか子供が小遣いを稼ぐ方法はなかったのだ。