「ジョニィと呼んで」と伝えてよ

 ペドロ&カプリシャスの「ジョニィへの伝言」は、タイトルにもある「ジョニィ(ジョニー)」という名の外国人が登場する反面、歌われる主人公の女性には日本的な雰囲気が感じられたり、そもそも曲調はしっかりと歌謡曲だったりで、「無国籍ソング」などとも呼ばれた。

 いずれにせよ、「ジョニィ」は外国人だという理解が一般的なのだろうが、中学時代の仲間内で最も支持を集めていたのは、「ジョニィと呼ばれたがっている日本人説」だった。「ジョニィへの伝言」がリリースされたのは1973年だが、それより少し前の時代あたりから、特に音楽界隈において西洋人的な愛称や芸名を名乗る者が大勢いて(ダニー飯田、ジミー原田、ルイズルイス加部、サミー大和etc…)、明言はしていないだろうが、作詞を担当した阿久悠の頭の中にもそういった顔ぶれが浮かんでいたのではないかと勝手に想像したりしていた。仲間内の父親が数名、この時期に音楽業界の端っこで活動していたことも影響しているだろう(私の父がその一人である。芸名は純和風だったようだが)。

 歌詞から「ジョニィ」の素性を推察できる要素は案外少ないが、もしも「ジョニィと呼ばれているだけの日本人」だった場合、なんとなく歌われる内容が全体的に軽い印象になる。「2時間待ってた」という一節も、ひょっとしたら未練といったものではなく、女性が呼び出されて2時間も待たされて呆れて帰ったという話だったのかもしれない。むしろ、その方が面白いのではないかと盛り上がってしまったのも、仲間内でこの説が支持された理由の一つである。

 もちろん、これは穿った捉え方であり、歌詞の節々に悲恋的要素は表現されているのだが、我々には他人の色恋話にしっとりした感情が芽生えさせる回路が欠落していたようで、今なお歌い継がれる歌謡曲的情愛模様というのは、どうにもあまり好ましく思えないのである。