「残さず食え」に従うべきか

 学校給食で余ったパンを机や鞄にしまったまま忘れ、しばらくしてカビだらけのおぞましい姿となって発見されるといった話は、現代の子供たちに馴染みがあるかは分からないものの、少なくとも私の世代くらいまでは「学校あるある」として扱われる程度にはリアリティのあるエピソードだろう。幼少より神経症の気がみられた私などは、幸い犯人になったことはないものの、クラスメイトがやらかしやがったのを目撃するはめになったことは数回あり、そのたびに好き嫌いや食べ残しを咎めるよりも食品の管理能力向上に尽力してほしいと感じた。しかし、高校生にもなって腐敗臭が漏れるまでロッカーにしまった弁当の存在を忘れていた大バカ者もいたくらいなので、小学校低学年生がカビパンをこしらえてしまうのも無理はないのかもしれない。

 それでも、私が通っていたのは少子化の影響がはっきりとしてきた時代の僻地学校だったため、児童の数も僅かであり、教室も新型コロナウイルスのことなど想像しようもなかった時期でありながら自然とソーシャルディスタンスが徹底されていて、やらかしがちな奴がクラスに1、2人いる程度なら、どうにか自分の身の安全くらいは確保できた。“ブツ”も深刻度が高まる前に発見されやすかっただろう。しかし、児童数の多い学校であれば、“ブツ”が生成される頻度も高くなり、早期発見も困難になる。だとすれば、発見されないまま朽ちていった“ブツ”も多く存在するのではないだろうか。

 当時の給食パンの包装がどの程度優秀だったのかは知らないが、“ブツ”を生成しがちな連中は机の奥や鞄に無理矢理押し込みがちなので、遅かれ早かれパンは空気に触れていただろう。そのまま不運にもゴミに紛れ、校舎の人目につかない場所に追いやられてしまえば、敏感な者がたまに臭気を感じて眉をひそめる程度の影響を与えつつ分解されきったかもしれない。だが、偶然が重なって、不定形の怪物のような姿のまま、どこかの廃校舎で増殖している可能性も否定できないのではないか。まあ、さすがにそこまではないだろうが、放置されつつも運良く(?)外見上に大きな変化の見られなかった“ブツ”が、誰かの悪意や歪んだ“もったいない精神”によって通常給食に紛れ込まされているのではないかとは、当時から教育機関全般に不信感を抱いていた私などは考えたものだった。