一昨日の夕刊しかない地元紙に関する話

 「今朝の朝刊」という言葉が気になるという内容の随筆が地元新聞の文芸欄に載っていた。「朝刊は朝に決まっているだろう!」と突っ込みを入れたくなるらしい。仰る通り朝刊は朝に決まっているが、今朝、つまり当日の朝刊が情報源ではない場合もあるわけで、そういった事例と区別することも必要だろう。「今日の朝刊」が最も正しいのかもしれないが、耳障りというほど「今朝の朝刊」が気になるかと言われれば、私は「突っ込みを入れたくなる」という筆者の存在のほうが目障りに感じる。

 『揚げ足とり』と題された件の随筆は、元高校教師らしい筆者の「気になる言い回し」が他にも挙げられ、それらは確かにおかしな言い回しではあるのだが、どれもこれも「手垢のついた」ならぬ「耳垢のつきそうな(?)」ほど、あちこちで聞いたような話ばかりで、編集権を与えて頂けるのならば、迷わず没にするような内容である。もっとも、地方新聞の文芸欄に投稿されるようなものなど、どれもこれも似たり寄ったりで厳選のしようがないのかもしれない。教師など、そもそも同じようなことしか考えられない人間の特に多そうな職種なので、なおさらという気もする。さすがに偏見ではあるけれど。

 どうやら、「突っ込みを入れたくなる」だけにとどまらず、実際に日常で指摘したりもしているらしいが、退職してなお悪い意味での教師としてのプライドが捨てられないのか、描写からは随分と粘着質なやり口が感じられる。このような人物が近隣を歩き回っていると思うと、外出することが一層憂鬱になってしまうのだった。