担任がいっぱい

 世代差も影響してくるだろうが、現代日本で育った人間たちは平均で何人ほどの「担任教師」と関わっているものなのだろう。教科や講義ごとの担当ではなく、学級等ごとの「担任」の話である。

 義務教育期の9年間、高校、そして大学や専門学校等へ進めばさらに数年間、進級するたびに担任が替わった者もいれば、長らく同じ人物が担任の状態が続いた者もいるだろう。世代だけでなく、育った土地の人口等も影響するはずだ。それらも踏まえて、おおよそ何人の担任と出会わなければならないのだろう。

 思い返すと私の場合は、本人の体調不良の他、のっぴきならない諸事情によって一年の間に担任が替わるといったケースを複数回経験しているため、ひょっとすれば平均以上の担任と関わってきたのかもしれない。嫌な顔も多数含まれているので、あまり思い返したくはなく、おそらく「担任」に関してはあまり運に恵まれていないタイプではないかと思う。それでも、逮捕されていないのがおかしいほどの問題教師が担任だったことはないのは幸いである。

 そんな憎むべき点も多い私の担任たちだが、関わった人数が多めなせいもあって、故人もまた多くなってしまった。だが、卒業後時間が経ってからの場合が大半なうえコロナ禍の影響もあり、誰の葬儀にも参列できていない。そのうち数名は、亡くなった事実すら一年以上知ることはなかった。教師側からすれば薄情者と思われるかもしれないが、前述の通り憎むべき点だって多々あるし、極端に同級生の数が少なかった小学校時代を除けば、基本的に私はその年の学級の大勢の中の一人でしかなく、向こうだって記憶の端に私の姿が残っているかどうかは怪しいのである。想定以上に私に存在感があったのならば話は別だが、どうもそうとは思えないし、少なくとも教師が相手の場合は存在感などない方が良い気もする。