どうしたって、それ自体を楽しみにしていた時間は取り戻せない

 崩れた状態で届く事態が相次いだという高島屋のクリスマスケーキ騒動は、気遣うことを知らぬ幼子(この言い回しは、くっきー!の替え歌より引用)たちと、そんな年頃の子供を持った親たちの沈痛さを想像してしまい、こちらの気分まで深く沈んでしまう。世間で持て囃されているスイーツの大半がくどく感じてしまう私のような人間には、崩れていようがいまいがどうせ口に合わないケーキなのだろうが、それはまた別の話である。

 なかには割り切って、市販の手作りケーキ用のデコレーション材料を用い、崩れたケーキを子供に好みのまま飾り付けさせた家庭もあるようで、それはそれで確かに楽しいクリスマスにはなったろうと思う。しかし、この例と比較し、嘆きや怒りの声を上げる人たちを「心に余裕が足りない」などと非難するのは、どうにも無神経に思う。

 もちろん、悪質なクレーマーが多数存在しているのは知っている。そういった者たちが、たとえ根本的には提供側に非がある場合でも、明らかに過剰で一線も二線も越えた行為に及ぶ様子も報道だけでなく実際に目にしてしまったこともある。しかし、先の例のような素敵ではある打開策にしても、家にケーキ用のデコレーション材料が常備してある家庭はそう多くないだろうし、崩れたケーキが届いてから材料を買いに出かけるというのも、時節や届いた時間などを考えると、店が近くにあったとしても容易ではないと感じる。経済的な問題や地理的なハンデがあればなおさらだ。また、幼い子供は「このケーキ(崩壊していない状態)じゃないと嫌だ」と言って聞かなくなることも考えられるし、そもそも楽しみにしていたケーキが崩れているというだけで酷くショックを受け、泣き止まなくなることだって考えられる。どんな子供でも「自分たちで飾り付けてみよう」という提案だけで立ち直れるとは思えない。

 そのような状況に置かれた購入者が嘆きや怒りの声を上げたくなるのは仕方のないことだろう。そして、上手に乗り切ることのできた家庭に感銘を受けるのは構わないが、個々の考えられ得る事情を考慮したとも思えぬ形で「余裕を持とう」などと言って見せるのは、やはり短絡的で無神経な振る舞いなのではないか。