一方通行の年賀状を雪にまみれて配達する郵便局員に思いを馳せつつ

 大谷翔平正力松太郎賞を贈るのは、別れた相手に未練がましく連絡をとるようなものではないのかと知人が言うので、私も日本野球嫌いだがこいつも相当だなと、久しぶりに同類を見つけた時の安心感を得た。

 さて、そんな私と知人が嫌悪する日本プロ野球だが、以前にも述べたように、BIG BOSS新庄への良い評判を目にするたび、私のような人間が嫌っていたこれまでの空気を払拭してくれるのではないかという期待と、それゆえに再び盛り上がってしまった日本野球によって、かつて散々泣かされてきたテレビ中継の延長などの被害がまた増えてしまうのではないかという不安が同時に押し寄せてくる。

 日本野球に対して感じていた「厭な空気」というのは、日本社会全体にも当てはまる部分が多く、それを野球界だけでも払拭してくれるというのならば、それは歓迎すべきことであるし、私のような者も少し生き易くなるかもしれないという希望も持つことは可能である。だが、そもそも野球、というよりスポーツ中継全般が好きではなく、多少興味を持てるようになったとしても、他の様々な文化と比べて自分にとって重要になるかといえば、そうはならないのである。

 新庄まで嫌いになってしまうほど、プロ野球の話題が多方面に過剰侵食してくるようなことになった場合、それは新庄が悪いというより、プロ野球ばかりを持ち上げる連中が悪いのだろうけれど、そこで冷静でいられる自信があるかと問われれば、胸を張って宣言できるわけでもなく、人の道を今以上に外れてしまう可能性のほうが、新庄によるプロ野球改革によって私が生き易くなる可能性よりも高いような気がしてきて、なんだか2021年も「終わり良ければすべて良し」とは言えそうにない。